『バートルビーと仲間たち』
25年前に短い恋愛小説を出版したきり、筆を折ってしまった語り手の「わたし」。「わたし」は、メルヴィルの短編『代書人バートルビー』に由来しているその病=書けない症候群に陥ってしまった作家たちを、バートルビー族と呼ぶ。文学界に華麗な足跡を残しながら、〈一切を衝動的に否定したり、虚無に惹きつけられ〉て、書けなくなってしまった作家たちや書いたことのない作家たちの〈否定(ノー)の迷宮〉を、序文と86の断章で旅する異色作。とにかく、見たことのない小説です。
19歳から死ぬまで沈黙を守り通したランボーや、4冊の名作を書き上げた後、36年間私生活も含め一切を隠し通したサリンジャー、回復不能の狂気に陥ったために書くことを放棄したロベルト・ヴァルザー、自分は何者でもないと考えて書くことを放棄したペピン・ベーリョ。多彩なバートルビー族が登場し、裏文学史ともいえるエピソードが次々語られ、その合間に、人を食ったような「わたし」のバートルビー的半生が描かれていきます。その虚無に浸りつつ読んでいると、次第に笑いがこみ上げてくるという、ねじれた読み心地も魅力です。
『幻影の書』
語り手は、飛行機事故で妻子を失い、失意の底にいる主人公ジンマー。大学教授の職も捨て、感情の死んだような日々を過ごしているうち、ジンマーはある1本の無声映画によって一条の救いの光を見出す。彼が心を動かされたその作品は、トーキー時代に一世を風靡した後に行方をくらました伝説の映画人ヘクター・マンのものだった。
ジンマーは取りつかれたようにヘクターの映画論を書き上げて出版をする。そんなある日、ジンマーのもとに、へクターの妻と名乗る人物から手紙が舞い込む。その手紙には、ヘクターは生きている、彼に会いに来て欲しいとあった。半信半疑のジンマーの背中を押す謎の女アルマが現れて……。
とまあ、お膳立ては「いかにも」なのですが、これほど見事なストーリーテリングであれば文句はありません。ひとことでくくっていえば、ジンマーの救済の物語となるのでしょうが、その軸にからみつくように、ヘクターの数奇な運命があり、ヘクターの幻の映画があり、アルマとの官能的な触れ合いがあり、重層的な物語が豊かな旋律を奏でていくのです。
オースターが日本に初めて紹介されたのは1989年で、すでに20年。ある意味、作家としては安定株で面白みがなくなってきたと感じて縁遠くなっている人ほど、ぜひ手にとってもらいたい。そんな新しいオースターの代表作です。
ちなみにアメリカでは、この本に登場するヘクターの知られざる作品、ジンマーだけが最後に見ることができた「The Inner Life Of Martin Frost」が映画化されているそうです。
『Boy's Surface』
『博士の愛した数式』に出てくる数学理論だって四苦八苦の私が、この本に書かれている理論を理解できているはずがない。それでも、その数理的な世界を同語や類語の反復、言葉の意図的なずらし、ダジャレなどを交えた超絶文体で表された日には、やみつきになろうというものです。
男女の出会いと別れにつきものの不条理感を理系のレトリックで書いた表題作「Boy's Surface」。盲目の数学者アルフレッド・レフラーと、彼の初恋の相手となるフランシーヌ・フランスの恋愛がどんどん噛み合わなくなっていく様子が描かれているのですが、レフラーの主要業績である理論上の構造物レフラー球の発見は並行して語られているので、どんどんわからなさは増していきます、それでもおそらくはこれがいちばんわかりやすくて、いい。霧島梧桐の失踪、ゴルトベルクへのインタビュー、キャサリンAの語りなどが絡み合い、語り手のアイデンティティがどんどん危うくなっていく「Goldberg Invarient」、恋愛小説を書き換えるという試みと奇妙な寄生蟹のエピソードを織り交ぜた「Your Heads Only」など、4つの短編が収録されています。
わからなくたっておもしろいものはある。そのひとつの形であり、驚きたいという読者にはやはり味わってほしい1冊。
『決壊』
読んでいる間中、金属片を口に入れているような不快さを味わうことになった、今年いちばんぞっとした小説です。肉体的、精神的、対人的、集団的、メディア的、警察権力的……、あらゆる暴力が降ってきて、現代社会の怖ろしさというものを考えさせられます。
物語の発端は、“悪魔”を名乗る犯人の犯行声明付きバラバラ遺体が各地で発見された猟奇殺人。被害者は平凡なサラリーマンだったが、その容疑者として疑われたのが被害者の兄でエリート公務員だったことから、メディアやネットまでが騒ぎ出す。無差別殺人かに見えた事件は、次第に複雑な様相を呈してきて……。
事件のアウトラインを少しずつつまびらかにしつつ、視点人物を多用して、主人公や犯人、事件に巻き込まれた関係者たちの内面にまで踏み込んで書かれている。そのため、読み手はさまざまに感情移入し、現代社会が抱える問題を考えざるを得なくなる。架空の豊かな物語を語るだけでなく、いま社会で起きている事象をトレースすることも作家の仕事だとすれば、しっかりそのことに向き合った作品だと思う。
『茗荷谷の猫』
幕末の江戸からオリンピックを控えた昭和30年代までの東京。およそ100年の時空を旅する9つの連作短編のスタイルを取る。1話めは、草木にのめり込んで植木屋(にわかた)となった元御家人が、江戸彼岸と大島桜を掛け合わせて変わり咲きの桜、染井吉野を造る物語だ。気前よく安い値で苗木を分けてしまう徳造に、仲間はさまざまに忠告するのだが、新種の桜に自分の名を冠することもない、まして後世の人々にとっては自分の存在感など無でしかないのだからとあくまで無欲。そんな男が、消すまいとしても否応なく風化していく亡妻の記憶に口惜しさをにじませるさまに、揺さぶられる。
物語は一編一編、巣鴨染井、品川、茗荷谷町と転々と舞台を移し、時間も少しずつ経過していく。その流れの中で、茗荷谷の女流画家の夫がのちに浅草の映画館の支配人として登場したり、遺産相続した放蕩者に家を仲介したのは女流画家の元画商だったという発見があったり、秘やかなつながりを見せていく。染井吉野が全編の通奏低音になった、しっとりと美しい作品集。新人賞を取ったわけでもない無冠の作家が、見事に技量を伸ばしてきたということに、個人的にエールをおくりたいという意味もあって選びました。
次点 『火を熾す』
ジャック・ロンドンが『野性の呼び声』で作家デビューを果たしたのが、1903年。すでに100年以上読み継がれてきた作家なので、いまさら押すのも何だなあ……という遠慮もあり、次点としましたが、訳と選が素晴らしいのです。
ロンドンが200以上書き残したと言われる短編の中から、ロンドンの人生観と作品の個性が色濃く出ている極北ものやボクシングもの、さらにSFや寓話までバラエティー豊かに構成。この本でロンドンと出会ったら、虜です。
新人賞 『地図男』
その新人作家が有望かどうかを計る決め手として、「書き続ける力がある」ことはひとつの条件。そういう意味で、真藤順丈は、思いがけない角度のアイデアを持っている。このことが武器になると思います。
新人賞、もしくはそれに準ずる賞を、一気に4つ取ってしまったという事実には驚かされますが、何より私はそのアイデア力を買いたいです。もっとも成功している作品が本書で、語り手の「俺」が、大判地図を抱えた路上生活者〈地図男〉と遭遇し、その地図帖の余白や付箋にびっしりと不思議な小説内小説が書き込まれていた、という発想がかなり面白いです。
「俺」を介して、読者はその数々の物語を読むことになるのですが、それが〈地図男〉の人生とオーバーラップしていく、広がりのある小説。