── 女子小説という流れで言えば、『凍りのくじら』(講談社文庫)『太陽の坐る場所』『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』という変遷があったと思うんです。ヒロインの年齢も少しずつ上がっていきます。『凍り~』では10代の女子高生、『太陽~』では28歳で30代目前の女性たち、そして『ゼロ、ハチ~』では、望月チエミと神宮司みずほという2人のヒロインが30歳から31歳になる時期です。
辻村 『凍り~』は、理帆子という女の子の成長譚になっています。理帆子は多感な時期にいて、周囲にうまく合わせているけれど、心から溶け込めているわけではない。一人称で書いたこともあり、自分は理帆子と似ていると感じる、本好きの女性たちに共感してもらえるのでは、と思っていました。『太陽~』は、キョウコという中心人物を据えた群像劇です。ひとつ太陽があれば、照らされて恩恵を受ける人もいるし、影になってしまう人もいる。ポジションをめぐる女子小説ですよね。
この2作では、理帆子にしろキョウコにしろ、「こういう人、いるよね」とすぐに思い浮かべられるよう、容姿もキャラもディテールまで作り上げて読者に差し出す感じで書いたのですが、『ゼロ、ハチ~』では、チエミにしろみずほにしろ、逆にひとりの人間に固定したくなくて、髪型や服装といったルックスの描写は極力入れませんでした。読んでくれた人が自分を取り巻く現実のコミュニティーを思い出し、「チエミは、みずほは、あの子に似ているな」とイメージしてくれるのがいちばんいいと思ったんです。
── チエミやみずほはもちろん、みずほがチエミの行方の手がかりを探して再会する元遊び仲間の女性たちも、本当にすぐそばにいそうです。
辻村 それはリアリティーという問題とも結びついているとも思うんですが、リアルな素材を小説にたくさん織り込んだからと言って、リアリティーが生まれるものではないと思うんです。格差というもので見たら、『ゼロ、ハチ~』で描いたのはあくまで女子間の格差や、女子トークのリアリティーなんですね。男性をメインに据えたら、そこにはもっと深刻な失業とか生活苦とか、生存にさえ関わってくる話が出てくるわけで、女子が抱えているのはいわば贅沢な悩みなんでしょう。
でも、格差の上下がはっきりしない、グレーゾーンな靄の中で生きていくつらさというのもそれはそれであるわけです。むしろ下手に息ができる分、真剣に論じられることがないのであれば、それを書いていく意味はあると信じています。
だからこそ、みんなが共通に見ているリアリティーをつかみ取って、それを小説として響かせる。そんな書き手でありたいですね。
── 事実、この小説には抜群の真実味を感じました。と同時に、辻村さんの書き手としての変化も感じたんです。
辻村 実は女性の描写に限らず、書き方の面ではいろいろ初挑戦したことばかりでした。これまでの作品では、私なりの世界をまず作り、その箱の中に現実を落とし込んでいく作業でしたが、『ゼロ、ハチ~』では、先に自分の目線で現実を切り取って、そこからストーリーを紡ぎ出すやり方をしてみました。
── 何でも、第2章は、すごくするする書けたとか。うんと長い第1章と、視点人物を変えた第2章という2部構成は、最初から決めていたんですか。
辻村 いえ、最初は、みずほ視点オンリーでいこうと思っていました。みずほがチエミを追いかける過程で、チエミの視点が滲んでくる構成にしようかなと。ところが、書いているうちにだんだん、思い切り視点を切り替えてやってみたくなったんです。
おっしゃる通り、第2章は2日くらいで書き上げてしまいました。書いている間も本当に楽しかったし、校正でもほとんど手を入れていません。逆に第1章は、半年から8ヶ月ぐらいかかっています。ねちねちと書いては直し、書いては直しして、校正が出てきてもまだ直して。相当書き直しました。書き下ろしでなければできなかった小説でした。
着想のきっかけになったのは、参考文献にも挙げていますけれど、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』(講談社文庫)なんです。最初、都会のキャリア女性たちが自分たちをゆるやかに肯定する言葉として受け入れた“負け犬”が、広まるにつれ意味がねじ曲げられて、他者を漠然と傷つける蔑称に変わっていった。去年まで私も地元の山梨でOLをしていたので、その言葉に圧迫される地方在住の同世代女子たちの息苦しさはよくわかりました。
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