もしもあなたが文学マニアならば、遅かれ早かれ、かれの作品を手に取る日が訪れることことでしょう。ボルヘスは、文学宇宙の北極星。あらゆる星たちのなかでひときわ輝き、その星を中心に、すべての星座が輝く、そんな星です。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899年~1986年)。
かれは詩人であり、アンソロジストであり、2千数百年にわたる文学を自由自在に引用し、おもいがけない脈絡をあたかも自然に導き出し、魅力的な文学講義をおこなう、文学愛に満ちあふれたペダンティックな語り手でもありました。しかし、ここではまず作家ボルヘスについて語ってゆきましょう。
かれはもっぱら短篇だけを書きました。かれの数ダースの短篇には、無限、迷宮、不死、円環、あるいは虎、そして薔薇、あるいはタンゴの流れる酒場で繰り広げられる荒くれ男たちの決闘が描かれています。
作品集は、数えように拠っては膨大にありますが、大事な作品集は、以下の4冊。
『伝奇集』(原著1944年 岩波文庫)、『不死の人』(原題:エル・アレフ1949年 白水Uブックス)、『ブロディーの報告書』(原著1970年 白水Uブックス)、『砂の本』(原著1975年 集英社文庫)。
原著出版年を見てもらえるとわかるとおり、前期と後期のあいだに21年もの開きがあります。実は、そのあいだにボルヘスは(遺伝に拠って)視力を失い、盲目になってしまいます。もっと言えば、かれはやがて中年期に自分の視力が失われてゆくだろう、という昏い予兆とともに思春期以降の人生を生きてきたともいえます。文学好きの、読書好きのボルヘスの読書のよろこびは、つねに昏い予兆を響かせてもいました。
最初期の短編集『伝奇集』のなかに、ボルヘスが生涯にわたって追求する重要な主題が、すべて出ています。とりわけ重要なのが、冒頭に収録された『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』。<人間の思考=観念は非在のものであるにもかかわらず、複製され増殖してゆき、やがて現実世界を浸食し、やがて崩壊にいたらしめる>。まさにこれこそが、ボルヘスの主題群の中心です。そう、<肉体および現実世界は消滅を運命づけられているけれど、対照的に観念の世界は永遠である。>これがボルヘスの生涯にわたるステートメントでした。
同じく『伝奇集』収録の『バベルの図書館』もまた、ボルヘスの代名詞になってゆきます。<無限を孕んだ迷宮としての図書館>というイメージ。そう、ボルヘスにとって、書物こそが、図書館こそが、永遠の息づく棲家でした。