古今東西、最高の演芸評論家は誰かときかれたら、私はちゅうちょすることなく立川談志と答える。
落語家としてのすごさ、天才ぶりはいまさら言うまでもないけれど、談志ほど芸を深く理解し愛し、緩急自在に語りかけるような独特の文体で見事に分析し、鋭く批評し、解説できる人間は世界でも談志をおいて他にない。いや、芸能評論家なんて云うのもおこがましいくらい卓越した存在だと思うから。
それは立川談志がこれまで世に著してきた膨大な著作のうちの一冊でも読めばたちどころにわかる。いや、一行でも読めばわかる。
福田和也は立川談志の文体を「精神の運動」と形容した。
「精神の運動」とは和漢洋にわたる膨大な学識を背景に、天馬空を行くがごとき融通無碍な文体をダイナミックに駆使して書かれた石川淳の小説を評するときに使われる表現だが、江戸っ子の反骨精神、批評眼ということでは石川淳と立川談志は共通している。
啖呵を切っているかのような小気味のいいリズムも、舌鋒鋭く正論を論じるなかに突如世話にくだけた伝法な言い回しがまじり、読むものをわくわくさせる点でも共通している。
本書はそんな古今無双の談志による最新の芸人伝。
芸人論としては二十二年ぶりの書き下ろしで、才気煥発な文章には円熟味が加わり、さらに味わい深くなっている。
俎上にのせられている昭和の落語家たちの顔ぶれが多彩で豪華だ。
名人と謳われた六代目三遊亭圓生から始まり、『野ざらし』の三代目春風亭柳好、安藤鶴夫に『芝浜』の文学的な描写を絶賛された三代目桂三木助、黒門町こと名人八代目桂文楽、『とんち教室』の柳橋先生として大看板となった六代目春風亭柳橋、『らくだ』で人気を博した八代目三笑亭可楽、金語楼の弟・初代昔昔亭桃太郎、昭和の爆笑王・林家三平、いぶし銀の芸で愛された十代目金原亭馬生、彦六となった八代目林家正蔵にご存知古今亭志ん生、そして談志の師匠・五代目柳家小さんなどなど総勢二十六名。
まさにきら星のごとく並んでいる。
そんな昭和の落語界を彩った落語家たちの脂に乗っていた頃の芸や逸話が談志の桁外れの記憶力によって再現されている。
その再現力をさらに立体的にしているのが人形町末広の高座を撮り続けた田島謹之助の写真だ。
円生も志ん生も小さんも馬生もみな若く、その素顔には高度経済成長期の日本の明るさがそこはかとなく宿っているよう。
高座の連続写真などからは声が聞こえてきそうなほど。
この一冊で昭和の東京の落語界のありようがわかるといっても過言ではない。
それぞれの落語家を評する談志の文章は見事のひとこと。
語るように書かれた文章はよどみなく、実にいい調子なのでついついいい心持ちで読み進んでしまうが、意図しているところは鋭くて深い。落語家それぞれの芸の特徴、人となりの本質をずばり衝いている。
例えば柳好。
「唄い調子の落語はよろしかったが、そうでない落語はダメだった。つまり、柳好の唄い調子で処理できない落語だが、噺にゃそのほうが多いから、判(わか)りやすくいやァ、下手くそだった」