何を隠そう、著者の高平さんがこの本で書いている外資系の広告代理店を辞めた後、彼がいなくなった同じクリエイティブチームで、後釜のコピーライターとして働くことになったのが、実は、この私なのであります。
ですから、著者と私は、広告会社ではすれ違い。その後、何かの折に挨拶を交わしたことはありますが、今だに作者と読者の間柄以上にはなっておりません。歳は彼がひとつ上、でも私が早生まれのため同学年です。そんなご縁で、彼の書くものに興味を持ち、ケッコー嵌っているひとりなのであります。
ですから、私にとって、この七〇年代という時代には格別な思いがあるのです。そして、この七〇年代を、私たち団塊の世代が懐かしむばかりではなく、むしろ若いひとたちに研究してもらいたいと思っているのです。
それも、特に、クリエイティブに興味を持っている若いクリエイターたちに、ぜひ、読んでもらいたい一冊なのです。
コピーライター、雑誌編集者、放送作家、演出家として、七〇年代サブカルチャーの生まれる現場でキラキラ輝いていた高平さん。それにしても、彼の対人関係などに関するそのディテールの細かさ、実名で登場する人々に対する記憶の鮮明さには、まったくもって恐れ入ってしまうばかり。そして、取り上げている素材の選び方が実にいいセンスをしていて、これにもすっかり脱帽なのであります。
目次を見てみますと、「若い季節」、「無責任一代男」、「ざんげの値打ちもない」、「ジャニスを聴きながら」、「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」、「のんびりいこうよ、おれたちは」、「あっしにはかかわりのねえことでござんす」、「まるで転がる石のように」、「じっとがまんの子であった」、「と日記には書いておこう」etc…と、団塊の世代には涙が出そうなタイトルがズラリ!
出て来る人も、サブカルチャーのトップランナー・植草甚一を始め、林家三平、由利徹、滝大作、和田誠、浅井慎平、赤塚不二夫、山下洋輔、坂田明、タモリ、景山民夫、クレイジーケンバンド、渡辺貞夫、ツービート、所ジヨージ、
(これは、ほんの一部)等々。
そう、この本を読んでいると、話上手なお相手とワンショット・バーのカウンターでバーボン・ソーダなど片手にそのおしゃべりを聞きながら、実に上質な時間を過ごしているような快感があるのです。
雑誌「ワンダーランド」の創刊、「宝島」の編集部時代、タモリの「今夜は最高!」。その前のレコード制作、アルバム「タモリ」の制作裏話なども秀逸。
「昼のいこい」「四カ国マージャン」「世界の短波放送」「FNNのスリラー・アワーとコミックショー」「教養講座・日本ジャズ界の変遷」。
ハナモゲラネタとして「相撲中継」「歌舞伎」「料理教室」。
ハナモゲラ演歌「けねし晴れたぜ花もげら」、「ソバヤ」など、
それこそアイディアの宝島に迷い込んだような楽しさなのであります。
それでは、ここで、私にとっても広告クリエイターの青春時代を彷彿とさせる、「マッキャンエリクソン博報堂で社会人スタート」の一節をご紹介します。
高平さんの外資系広告会社での初仕事のことです。
十一月終わりに人事部長に呼ばれた。合格。そのとき、媒体の青柳さんを紹介された。「十二月にヒルトン・ホテルでやるイヤー・エンド・パーティにロック・バンドを仕込んでくれ」さすが外資系だ。忘年会などという言葉は使わない。
「それからぼくの助手になって裏方を手伝って欲しい」。その場でかけた電話で、ジャックスを辞めてニュー・ロックのバンドを作った柳田ヒロが出演を了承。ホラ、役に立つでしょう。社会人への希望を大きくふくらませて帰宅すると、テレビで三島由紀夫割腹のニュースが流れていた。
クリスマスが過ぎた十二月。赤坂のヒルトン(現・キャピタル東急)のパーティ会場にいた。ステージの袖でインカムから聞こえる青柳さんの声。マッキャン初仕事だった。と、こんな文体です。
とにかくこの七〇年代は、みんな元気でギラギラしていて、男がまだまだカッコよかった時代、いろんなアイディアに溢れていた時代だったのであります。
そう、それこそ夢がいっぱい、ぼくたちの宝島の季節だったのです。
そんな七〇年代の広告、放送、音楽、出版業界のことをこの本で読み、特に若いひとには、(頭にも書きましたが)、ぜひ、自分だけの新しいクリエイティブな生き方の参考書にしてもらいたいものと思っています。そして、団塊組のこの私はといえば、もう一度この本の熱いものをエネルギーにして、これからもしたたかに生きぬくぞと、改めて、燃えているところなのであります。