小学校や中学校の頃、学校に設置された百葉箱の当番があって、温度や湿度や風向きや風速、時に雨量なんかを記録することをやったものとしては、ごくごく単純に「地球温暖化」という最近もてはやされている危機感が胡散臭く思えてならない。その大元にあるのは、これまで学校で習ってきた科学的な常識から来る温暖化に対する疑問に、誰もきちんと答えてくれないという不満から来ている。印刷メディアも電波メディアもともに恐怖を煽るばかりで、根本的な疑問を解決してくれないのだ。
50年前のぼくは、水銀やアルコールの封じ込められた温度計の目盛りを見つめていた。そしてあのアナログ温度計は、+-0・5℃程度の誤差があるとされている。その温度計を持って世界のあちこち――ロシアのツンドラ地帯から南米のパンパ、中国奥地のシンキャン・ウィグル地区からアフリカの季節風吹きぬける岬の突端まで、いったい誰がいつ、その地帯の温度を計ったのだろうか、という素朴な疑問だ。地球の温度は20世紀に入ってから0・5℃から0・7℃上昇したというのが通り相場になっている。それがたとえ1℃だとしても、東京と今住んでいる鎌倉との冬夏の温度差程度だ。鎌倉は夏は1℃ほど低く、冬は1℃ほど高い。この程度の温度の上下で地球は危機に陥るのだろうか。そしてもっと怖いのは、この温度の上昇が南極や北極の氷を溶かしてしまうというのである。
酒が好きである。ウイスキーのソーダ割り、いわゆるハイボールが好きだ。オン・ザ・ロックも悪くない。アンバー色の液体の中で氷がゆるりと身じろぎして溶けるところなんか、見ていて感動的でさえある。しかし、そのウイスキーは氷がすべて溶けてもグラスの縁から溢れ出ることはない。酒好きでなくとも、氷の容積は水よりも小さいことは知っている。「ユーレカ!」と叫んでアルキメデスが発見した原理、「水中の物体は、その物体がおしのけた水の重量だけ軽くなる」という「浮力の原理」である。だから、南極は大陸の上に氷が乗っているのだけれど、北極はまったくの氷の塊だから、これがたとえ全部溶けても海面は上昇しないことを意味している。まあ、南極やグリーンランドの氷が溶けたら確かに海面は上昇する。けど、どれぐらい増えるのか誰も予想がつかない。
それよりも、北極の氷が溶けたら白熊は絶滅する、と子供たちの同情心をあおるようなことをテレビは言う。もし地球の温度が上がって北極の氷が溶けたとしても、その水が混じりこんだ海水は蒸発する。海面が広がればそれだけ蒸発する率は多くなる。普通はそれが雨となって地球に降ってくる。だが、世界で一番低い温度である北極や南極では、その雨は当然雪になる。雪の降り積もった北極では、それが氷の塊となっていく。氷は少しも減らない。地球温暖化は、むしろ北極の氷を増やしてしまうというおかしなことになってしまうのだ。
最近のノーベル賞、特に平和賞はおかしくなっているな、と思っていたのだけれど、昨年の元アメリカ副大統領ゴアとIPCC(気象変動に関する政府間パネル)が受賞したことでその思いはいっそう強くなった。特にゴアは、その著書「不都合な真実」で温暖化によって海面は6メートルも上昇すると宣言している。一方、IPCCは6センチだという。どこからこの数字が出てきたのだろうか。
運河の閘門(こうもん)、というのをご存知だろう。たとえばパナマ運河は太平洋と大西洋との潮位の差が24センチある(太平洋のほうが大西洋よりも24センチ海面が高い)ために、この閘門を使って舟を上げたり下げたりして両洋間を通行させている。
一日二回ある満潮と干潮だが、地域によっては満潮と干潮との潮位の差がかなり大きいところもある。ちなみに太平洋側は大潮と干潮との差が1メートルから2メートル、日本海側は20センチから50センチ、有明湾にいたっては数メートルと言われている。さすが6メートルとまでは行かないけれど、6センチ程度海面が上昇してもどうということもないのではなかろうか。