稀代のストーリーテラーでありベストセラー作家であった有吉佐和子、だが作品をいま、書店の棚で探すと愕然となる。どうしてこんなに少ないのか!?
その当時、いかに時代の寵児であろうが、最盛期にどれほど売れようが、時代の流れのなかで品揃えが減っていくのは仕方のない話かもしれないが、しかし良書は時間を経ても人間心理や物事の本質に通体しているから古さは感じないものだ。
本書は有吉佐和子、28歳のときの作品である。この若さにして、和歌山の名家という一つの「家」を中心に、明治・大正・昭和という激動の時代を生きる女三代の歴史を描いている。
美貌を謳われ、昔ながらの伝統を守ってゆく花と、新しい時代の風をうけて男女平等を謳う娘・文緒。そしてその子供の華子。
花・文緒・華子の女三人の生きざまはさまざまで、その考え方や振る舞いは、一個人の生きざまにとどまらず、時代の様相も色濃く映し出してが、それぞれ三人の個性が輝く中で、脈々と流れる精神は同じであるものに気付かされる。
作者自らの家系をモデルにしたというが、和歌山県の九度山村が舞台。美しい紀州言葉は優雅で、読みすすめながら、声にだしてみたくなる。
個人的には私は理知的で聡明、耐えるなかでも自分の意思がしっかりとしている花に好感を持つ。また、花を陰ながら愛しながらも、ついつい憎まれ口を利く変わり者の分家の義弟・浩策の存在がもどかしくもありながらも切ない。
冒頭は花の嫁入りシーンから始まるが、花が結婚するときの「紀ノ川沿いの嫁入りはのう、流れに逆らうてはならんのやえ。みんな流れにそうてきたんや。自然に逆らうのはなによりもいかんこっちゃ」――という花の祖母・豊乃の言葉には、霊験なる重みがある。
「家格やのうて男や」と紀ノ川の流れに沿って下流の真谷家に嫁がせられた花だが、代々その地で家を守り繁栄させてきた人たちにとっては、自然法則と家訓・人生訓がぴったりと寄り添う形となるのか…と、非常に感慨深い思いがする。
そうして花の夫となった敬策は、浮気もするが、豊乃の見込みどおり、夫は和歌山の県政に進出し、押しも押されもせぬ人物になっていく。
文中、敬策が娘の文緒にむかって
「お前はんのお母さんはそれやな。云うてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に添う弱い川は全部自分に包含する気や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れ込む気魄がある。昔、紀ノ川は今の河口よりずっと北にある木ノ本あたりへ流れとったんやで。それが南へ流れる勢いのいい川があって、紀ノ川はそこへ全力を注いだんで、流れそのものが方向を変えてしもうたんや」
と述懐するが、そのときの自分の立場で誠実に、ひたむきに生きてきた花と、まさに日本の理想的な女性像が浮か重なり合ってくる。
最後は孫の華子が東京への帰りがけに寄った和歌山城から紀ノ川を、そしてその先の海を、華子はいつまでも眺めるシーンがつづられているが、私も和歌山に行き、紀ノ川を眺めていたら、「自然に逆らうのは何よりもいかんこっちゃ」という教えが心のなかに広がっていった。
女三代の家の物語は、あまりにも人間くさく、生々しい凄烈な話でありながらも、とうとうとたゆたう紀ノ川の清冽さとたくましさに、読後は心が清らかな気持ちになる。