今なら、『団扇の絵』とするのではないか、書店でこの文庫を見たときにそう思った。「画」が、少し古めかしくて、いいなと感じた。そのことは覚えている。2000年8月の新刊で、その時に買い、読みかけたまま7年。去年になって、この本を読んだ。
こういう古い本を紹介してもいいといわれたのでこのBook Japanのブックレビューを引き受けた(もちろん、今でもこの本は手に入る)。新刊の速度と数についていけなくなったこともあるが、少し前あるいはずっと前の本をじっくり読んでみると、これはいい、という本がいくらも出てくるので、それを紹介してみたかった。それを自分で書くつもりでいたこともあって「旧刊帖」というサイトの名前まで考えてあったのだ。
さて。
2007年の8月に同じ著者の『明治風物誌』という、ちくま学芸文庫が出た(これは、別に紹介します)。
その著者の名前を見て、この人の本を持っているような気がするなぁ、と読みかけの本の山を探索してみると、『団扇の画』が確かにあった。
柴田宵曲(しばたしょうきょく)、私はこの人の来歴も何も全く知らなかった。読書好きでも、この人を知っている人は少ないだろう。それとも年配の人なら知っている作家なのだろうか。あちこち少し調べてみたら、実に興味深い人物だとわかった。
中学を中退したあと図書館に通い、独学で俳句と短歌を勉強し、文章の習練をしたという。文章のみごとさは、この人の本を読んでみればすぐに納得できる。いい文章を書きたいなら、こういう文章を数多く読むべきだろうといういい見本だと思う。
ホトトギス社に入って編集に携わり、「子規全集」を編むときに大変に力を発揮した人だというし、江戸時代の研究家といえば真っ先に名前の挙がる三田村鳶魚の著述にも協力したとなれば、「ヘボ俳句を詠み、江戸研究好きの素人」である私には、読まないではおけない人であったのだ。著作を調べているうちに『俳諧 随筆 蕉門の人々』という岩波文庫もあると知った。なんと、この本も持っていた。芭蕉関連の本の書棚に間違いなくあった。私は、著者名にまったく無頓着なまま本を読む男であった。柴田さんに申しわけない。
ということだが、買った順に読むべきだろうと、まずはこの本を紹介する次第。
さて『団扇の画』とあるが、この「画」は、「え」と読ませている。子規の『病床六尺』に、子規が毎日手にしていた団扇の画のことが書いてある、と始まる一編が表題の作品である。そういう風に、何気ない話題をスイと出しておいて、それについての話題を広げていく。
この本の、冒頭の一編は「月と人」という一編で、夏目漱石の『文学論』の中から文章を引いて、漱石がロンドンにいる間にイギリス人が「月見だの雪見」にほとんど関心を示さないことを知った、と紹介する。そうして、日本人が情緒の対象として眺める月を、西欧の人は往々にして科学の対象となる天文としてしか見ないようだと様々な古典を引きながら書いてみせる。
博覧強記という言葉があるが、どう勉強すればこれほど多くの書籍に通じることができるのだろうとほとほと感心するのみ。特に中国と日本の古典に通じていて、「それについては、これこれこういう古典に、こんな風に書いてある」と、なんの造作もなく引き出してくる。それがまったく自在にできてしまうのだから、覚えてもいるし、その本が手元にあるということか。汗牛充棟、というのがこういう人のことだろう。いまさら、その勉強法を身につけても間に合わない私だが、知識は持っていると使いようがあるものだと思う。
「きんとん」という一編では、きんとんというものはいつ頃からあるんだろう、と一文を書いてから。
寛文版の『料理物語』、『貞丈雑記』、山崎美成(やまざきよししげ)の『海録』などを引きながら、そこに描写されているきんとんの内容を吟味すると、私たちが知っているきんとんとは違うようだとしながら、あちこちからきんとんの話を探しては、文献から面白いところを書いてくれる。
まさしく随筆で、この本を「耳に心地よい、いい声」で朗読してもらったらさぞかし面白いだろうと思う。一編一編に滋味があって、ほぉそうなんですかと教えられることも楽しいし、文章の語り口が淡々としていて果てしなく心地よい。
文章がしっかりしていて、奥行きがあり、明治から昭和にかけてのことがすっと出てくるので、若い人にはそこに出てくるものがわからないことがあるかも知れない。しかし、それを調べながら読んだら、あるいは、読み終えて「あそこのあれは何なのだろう」と一回戻るつもりがあれば、抜群に含蓄の多い本だと実感できる。
「名文」がほとんど見あたらなくなったこの時代、この一冊で味わって欲しい。
文章は全然古びてはいないが、今どきの饒舌な文章ではないので、入口でつっかえることがあるかも知れないが、ゆっくり入っていけば、こんな面白い本はない。
子規の全集に深く関わったということもあるのだろうが、漱石の作品に通じていることは感心するばかり、当然俳句に関する素養の深さも「底が見えない」気がする。いい本ですよ。大人がじっくり味わって楽しむには最適。こういう本が見過ごされては惜しい。