ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』とともにオススメしたい小説と言えば、なんと言ってもカフカである。いずれも東欧の小国出身であり、いずれも国家に帰属しえない、軽く、よるべない、それでいてタフな自意識が、作品にどくとくの魅力を与えている。フランツ・カフカ、不思議な作家だ、一方でものすごく絶賛を捧げられ、他方で、ものすごく多くの喰わず嫌いに迎えられる作家、カフカ。でもねぇ、もしも文学マニアで、カフカを読んだことないとしたなら、もったいないよ。
しかもね、近年は、池内紀さんの、どくとくの池内節による、人懐こい翻訳もある。
サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、主人公のホールデンくんの軽快なおしゃべりに釣り込まれて、くすくす笑いながらいつのまにか最後まで読み切ってゆく小説。ただし、そんなふうに最後まで読んじゃって、ふと気づくと、ちょっとしんみりした気持ちにならなかった? そう、このホールデンくん、これからいったいどうなっていっちゃうんだろうなぁ、なーんて。ついつい身につまされてこなかった?
カフカの『失踪者』って小説もね、読んでいて、ちょっと似た感じを抱いちゃうんだ。こっちの主人公はドイツ人、カール・ロスマンくん、17歳。(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のホールデンは、16歳だったっけ?)カールくんは、ふつうの男の子、とくに勉強が好きというわけでもない、ふつうの男の子。このカールくん、ドイツで女中に誘惑されちゃって、ついつい男と女の関係になっちゃって、あまつさえ妊娠までさせちゃって。両親はもうかんかんに怒っちゃって。「おまえなんかもううちの子じゃありません、アメリカの伯父さんとこで、勝手に生きてゆきなさい」なんて感じで、両親に体よく追い払われちゃう。両親は、世間体を気にしたんですね。
そしてカールくんはひとりで船に乗せられて、アメリカの伯父さんのもとへ。小説の冒頭で船は速度を落としてニューヨーク港へ入ってゆきます。カールくんは甲板に立って、陽光を浴びながら、自由の女神を見ています。カールくんの眼には、自由の女神がまるで剣をかざしているかのように見えます。剣をかざした自由の女神、なんて不吉なイメージでしょう。そして物語は、滑り出してゆくんです、不吉な予感を漂わせながら。
とは言うものの、カールくんの表情は、いたって明るいんです。ニューヨークに到着した船のなかで、カールくんは、たまたま知り合ったドイツ人の火夫と(ドイツ語が通じる気安さからか)無駄話をしています、大人と会話するのがちょっと晴れがましいんです。火夫の仕事の愚痴につきあうどころか、その愚痴を鵜呑みにして、火夫に代わって火夫の心のたけを訴えてあげたりする始末。(ちなみに火夫というのは、これが蒸気船の時代の話ゆえで、すなわち石炭をくべる係、釜焚き、いまで言えばボイラーマンですな)。さて、このカールくん、そんなふうに釜焚きと世間話しているうちに、ついうかうかっとして、自分の大事なトランクと傘を見失ってしまいます。あ、あわわ、盗まれちゃった!?? 読んでるこっちは、もう、物語の冒頭からはらはらしてしまいます。そんななか、カールくんのアメリカの伯父さん、企業家のヤーコプさんが現れ、ま、とにもかくにもカールくんを、迎えに来てくれたのでした、めでたしめでたし? (ここまでの話はイントロダクションであり、『カフカ短編集』岩波文庫収録の『火夫』と、ほぼ同じです)。
さて、はじめのうちはヤーコプさんもカールくんをかわいがります。ちなみにこのヤーコプさんは、いかにもやり手の企業家、製造業でも、問屋でもなく、壮大な仲買業をやっています。なにしろその壮大さと言えば、オフィスにはテレフォン・オペレーターが何十人もいて、誰もが電話で商取引をしているわけで、ここではいかにもアメリカならではの先進的資本主義の現場が描かれています。(カフカの先見性がこういう設定に現れています)。さて、ヤーコプさんはまずカールくんに英語を習わせ、カールくんがピアノを弾くのが好きだと言えばピアノまで買い与え、その上、乗馬のレッスンまでさせてくれます。ところがある日、カールくんがヤーコプさんの友人ポランダーさんに招待され、ヤーコプさんはこのカールくんの外出をそれほどよろこばなかったにもかかわらず、カールくんはやや強引に、遊びに行ってしまいます。