哲学者である須原一秀が「哲学的事業」と称して自死した。頸動脈を切った上の縊死だった。果たしてその死は哀しんでいいのか、喜んでいいのか。覚悟の自死は、賞賛されるべき死なのだろうか。その死から僕らは何を学ぶべきなのだろうか。積極的な死の受容に到る考えと一人称的経緯をまとめたのが本書である。僕は嘔吐(えず)くような重い気持ちになったまま、庭にある山吹の花が風に揺れているのをしばらく見つめていた。
そして、卒然とこみあげてくるものを抑えられなかった。
実は、親しかった広告業界の友人をつい3か月前に自死で失った。著者と同じ縊死であった。僕は密葬に立ち会い、涕泣しながらも正直、憤りの気持ちが強かった。思えばそれまで進めていた仕事に対して何を思ったのか、彼は丁重な礼状をよこしていた。いままでの交友への謝辞とも読める内容だった。自死の日から4日後に会う時間まで約束までしていたのに、彼はホゴにした。その日は告別式になった。いまとなっては自死の理由はどうでもいい。残された者に希望を与えることができる死かどうかが、人間の死に様として僕は大切なことだと思う。それを黯然(あんぜん)とさせたことは、とても解せなかった。陽気に笑わせて飲むことが好きだった彼が自死するなんて。「なぜ、なぜ、なぜ」と何十回も僕は自問した。その答えを探すつもりもあってこの本を手にした。
三島由紀夫の割腹自殺、伊丹十三の飛び降り自殺、ソクラテスの刑死。この三人は積極的に死を受容した人物として須原一秀は仔細に検証している。ソクラテスは死刑の判決を受けるように自らを仕向け、幸福そうに毒ニンジンの汁を飲み、潔く死んでいったと言う。実際には自死であった。三島由紀夫は派手なパーフォーマンスのせいで死の理由は杳としていたけれど、老醜への嫌悪から従容として死に向かったと断言する。そこに政治的、文学的な意味合いをもたせては彼の死は見えてこないと。伊丹十三も女性スキャンダルを契機ととらえたに過ぎないのではないか。映画監督として名声を得ていたのに「楽しいうちに死にたい」と言っていた彼は、無惨な自然死を避けたいとの思いが強かったと結論づける。須原一秀は、三人とも「老醜と自然死に巻き込まれると、自分らしさと自尊心と主体性を維持できなくなるためそれを守る死」だったとの見方をしている。
ではどうして人生の未練を断ち切ることができたのか。伊丹十三の言う「金のおにぎりをぱくぱく食べた」ほどの幸福感を人生においてそれぞれがすでにもてたからだというのだ。それぞれが「極み」へと達して「生き切った」ことによって未練が相対的に小さくなってしまった。未練や恐怖心を克服したのではなく、いったん体が死を快く受け入れると「気にならなくなる」ことを理由に挙げている。
須原一秀の原題は、「新葉隠」である。江戸幕藩体制のなかで葉隠武士は「死にたがり」になることで自尊心と主体性を維持して生き抜いていた。それを現在に置き換えれば、「老人道とは死ぬこととみつけたり」になる。これこそが老年期へのおおらかな生き方であり、「死にたがり」になって明るく快活に生きていける。「人生は空しい」と言う厭世主義者は自殺などできないと手厳しい。「年をとると月日の経つのが早いのも、将来を仮想無限と想定するから今日一日が意味を持たなくなる」。これは須原一秀が導き出してくれた人生の新しい見方であろう。淡々と死に向かっていくのに、まったくと言っていいほど気負いを見せていないのには驚く。それ以上に文章が浮き浮きしているのがわかる。
僕は、伊丹十三とは広告の仕事でいっしょに取材に何回か行っている。湯河原のお宅にも伺ったことがある。エッセイストで俳優だった頃の伊丹十三だったが、コピーライターだった僕は彼に私淑していた。取材先でいっしょに食事をしているとき、彼の注文した大きなロブスターがきて何気なく僕がそれを見たら、躊躇することなく僕に分けてくれた。広告のロケでかなりの数のタレントとも仕事をしたけれど、そんな気前のよさでまだ若かった僕に接してくれたのは伊丹十三だけだった。彼の訃報に接したときには不可解なままだったけれど、やっと僕にも「金のおにぎりをぱくぱく食べた」彼の気持ちがわかってきた。この本を読んで、伊丹十三の死は納得できたように思った。
僕が30代のはじめ、インドを放浪していたとき、ヒンズー教の聖地バナラシーで死体が焼かれるのを毎日見ていたことがある。ガンジズ河のほとりでいくつかの遺体は燃えさかり、黒っぽい煙を天に昇らせていた。冬場だったので、そこへコブ牛がきて暖をとっていた。子供たちも集まってきて、上昇気流を利用しタコを飛ばして遊んでいた。死んでも誰かの役に立っている。僕は人間の死が最後の瞬間まで誰かの役に立っていることに感動した記憶がある。僕はそのとき自分の死は希望を与えるような死に方でなければいけないと思ったのだ。もちろん、自分の願ったような死に方ができるわけではない。でも僕はそうしたい。自然死と格闘しながら、あがきであっても生きることに執着して老醜を晒そうと思う。それがどんな死に方をすることになっても、僕の自死である。
友人の死はいまだ受け入れていない。坦懐になれないのだ。
山吹が散り切るまでには、心境が変化するだろうか。