上中下の3巻で総3,400ページ、ひぇ~と悲鳴をあげたくなるほど、まるで辞書のような重量感は、手に取ることが一瞬ためらわれる厚さである。その重みは、丸々佐藤家三代の血の濃さ、歴史の重みのように思われてちょっとひるみそうになるが、読みすすめていくうちに、この長さが喜びと期待に変わる。
面白すぎる。長くてよかった。この話をもっと読みたい。
そう、強く思うからだ。
昔から異常なほどに他人に興味がありすぎる性癖の私としては、人の家族の歴史を知る・読むのは、好きだ。
しかも本書の場合、あまりにも濃い登場人物、そして作者の客観的な描写と、本質を浮き上がらせる冷徹な眼とを重ねて読む、という幸運もある。
だが読むには気力・体力がいる。激しい、狂気を持った登場人物に生気を吸い取られてしまうからだ。
佐藤愛子、65歳から書きはじめ、執筆に12年、その代表作として名高い本作だが、情緒的過ぎず、身びいきでなく、自分の家の歴史を記録的に書いているという点も飽きずに読める要因かもしれない。
だがしかし……読んでいて思うことは、どうしてどうして、こうも濃いというか、失礼ながらロクデナシといわれるような人間があらわれるのか…。途中からは読むたびに、また出た~!という奇妙な喜びさえ、わいてきた。
本書には佐藤愛子の父・紅緑と妻シナ、そして愛子とその兄弟(サトウハチロー他)、その子供たちという佐藤家三代の歴史が記されている。そのなかで紅録のお妾さんとその息子がひたすらまっとうでまぶしい。佐藤家にあって“ふつう”であった愛子の姉も、晩年には反旗を翻すし…。血は争えないというか…。
佐藤家は紅緑をはじめ、ハチロー、愛子という文人を生んでいるが、だがそれ以外はほとんどまともな人生を送っていない。最期の死に様も哀れである。
佐藤紅緑自体、いまや古本屋にいかないと手に入らないし、人気作家であった時代を私は当然のことながらリアルタイムでは知らないが、すごいあらぶる魂の持ち主。2番目の妻で愛子の母シナは、三笠万里子という名で活躍していた女優だったそうだが、紅緑の荒れ狂うような情熱に巻き込まれ、しぶしぶ妻になる。紅緑の手で女優としての未来を奪われたという深い恨みを心に持っており、紅録に好かれていることに対しても、冷ややか。紅緑自体、シナが自分を愛していないということを知りながらも執着しつづけるという、どうしてこうもみんな葛藤ある生き方をするのかと思うほど。
かわいらしい詩をつむぎだす巨漢・ハチローも、私の世代では歌詞を通してしか知らない存在だが、学校を退学したりして父親から勘当されたりもしたものの、作詞やユーモア小説家として飛ぶ鳥を落とす勢いで大活躍する時代の寵児となっていく。
ハチローは感受性強く繊細な面を持ちあわせる一方で、冷たさとエゴをむき出しにする人間だったようだが、家族に対しては特にその面がむき出しになる。ハチローは自分もせびっていたのに、佐藤家の人間が借金をしにくるのを極端に嫌がったという。しかし女性問題、詩の才能のある中学生にいれあげ、そして捨てられるハチローのことをここまで赤裸々に書いていいのかと、読んでいてひるむほどだ。
四人の息子たちは紅緑から金をむしりとり、警察沙汰もしばしば、彼らが作った借金の返済に追われる。ハチローのすぐ下の弟(次男)などは、結婚後も父親から仕送りを受け、父が末弟の更生資金にと送ってきた多額の金の大部分を費消して、末弟を自殺に追い込んでいる。そして広島出張中、原爆投下で女と死んでしまう。三男弥も戦争で死に、四男久は19歳で輝子という女と服毒自殺し、久だけ死ぬ。
そして著者の愛子も、夫がモルヒネ中毒になったため離婚し、次に文学仲間と結婚するも事業に失敗し、多額の借金を背負う羽目になる。
佐藤家の人間もどんどんとあの世に行く。そうしてハチローの息子たちもまた、ハチロー自身がそうであったように、不良少年へと成長してゆく。
エントロピー増大の法則のように、最後はあっけないほど早い結末を迎える。生存中は迷惑をかけるときには迷惑をかけどおしだが、死ぬときにはあっという間、佐藤家の人間は愛子と二人を残して、いなくなってしまった。
夜、仕事から帰ってきて読み、日中も重いのにわざわざ持ち歩いて移動中も読み、少々の寝不足と興奮とですべてを読み終えるのに三日はかかったが、佐藤家の家長である佐藤紅緑を根っことする、奇妙というか、数奇な運命をたどる濃ゆい佐藤家三代の歴史を伴走した疾走感あり、の一冊である。