私ごとで恐縮だが、昨年夏、少々体調がすぐれず胃カメラを飲んだ。結果、ああ、これこれ、これですね、というので十二指腸潰瘍が見つかって、ま、いまはいいクスリがありますから、と処方されたのをしばらく服用し続けたら、ウソのように潰瘍は治って、ウソのように体調が戻った。
やっぱり胃腸というのは大事なんだなあと痛感させられているときだったので、書店で見かけた『腸は考える』というタイトルはインパクトがあった。
普段あまり気にもとめない(健康なときはなおさら)胃腸だが、口から肛門までのおよそ7メートルの消化管というトンネルには、まるで「小さな脳」とも呼べるほど複雑な情報回路が張り巡らされている、らしい。
情報を感知する各種センサー細胞と、情報を伝達して細胞や神経に仕事を促す各種ホルモン、これらが実に精妙なネットワークとなって、たとえ実際の脳ミソと切り離されたとしても、消化管は独自に「考え」て、間違いなく仕事を遂行していく、らしい。
ヒドラという最も単純な多細胞動物がいる。脳はなく、腸だけでできているような生物だが、その腸には立派にセンサー細胞があって、ホルモンを放出する。こういう基本的な腸の働きは、ヒドラもヒトもほとんど同じなのだという。
つまり腸は、脳というものができる前から独立して働いていた、と著者はいうのだ。
とりあえずビールと餃子。あ、チャーシューもください。紹興酒いってみるかな、常温で。そろそろラーメン、麺硬めね。などと、今夜も腸には(何の断りもなく)いろいろな食べ物が入ってくる。腸はその成分を即座に認識して、食べ物に応じて肝臓、胆嚢、膵臓などといった臓器に的確に(脳に相談することなく)指令を出す。毒が入ってくれば、嘔吐や下痢を引き起こして、いち早く毒素を体外へ出そうとさえする。
本書は、著者が腸の情報網とその的確な働きの謎を解き明かすためにさまざまな仮説を立て、その仮説を立証するためにさまざまな工夫と実験を繰り返し、やがて解答を導き出していくまでの過程が柱となっている。
というと、なんだか堅苦しい本のようだが、これがまったく柔らかい。専門領域の話をわかりやすく丁寧に解説してくれているので、私のような素人にも腸の仕組みが理解できて、面白い。
ときには、いかにも学者らしい生まじめなダジャレも飛ばす。
そしてもうひとつ忘れてはならないのが、著者をとり囲む人たちとの交流の記述である。研究室の仲間だったり、ライバルだったり、そんな人たちとのさまざまなエピソードが、本書の大きな魅力となっている。
切片(顕微鏡観察用の動物組織の極薄スライス)をつくる名人がいる。
いつも研究室を盛りあげてくれる、しっかりもののアイドルがいる。
研究資料を惜し気もなく提供してくれる学者夫婦が出てくる。
ゴキブリの研究をする酒豪の美人学者も出てくる。
手術よりも実験のほうが好きな外科医が登場する。
半分敗北を認めながら、なかなか自説を曲げない頑固な学者も登場する。
などなど、著者の人間性なのだろう、まわりの人たちのことがみんな暖かく人間味のある筆で書かれている。
もちろん腸の話は面白いのだが、本書を読み終えるころには、今年79歳、医学博士、新潟大学名誉教授という著者その人ことが、いちばんの関心事になっていたのだった。