読書は先入観とのたたかい、みたいなところがある――。
じつは、今回取り上げる芥川賞作家の絲山秋子には、先入観をもっていた。
大括りでいうと、辛気くさい作家というイメージがあった。読んだこともないのに、著者のプロフィールや、作品の解説などが、モレ聞こえ、そのあまりの華のなさに「ちょっとなあ」となってしまっていたのである。
周りの人間に、「絲山秋子の本って、どうなの?」と聞いても、読んだかどうかは知らないが、だいたいは「地味」「偏屈」「狭量」等々の悪口が被さり、こちらのマイナスの先入観はますます自信満々となっていたものだ。
だいたい、名前の絲からして、「いと」と読んでいいものか惑わせ、そこになにかを拒む風なものが感じられ、ぜんぜんフレンドリーじゃない印象。けっして読むものか、読まないでもオレの人生困らない、とまで思わせるところがあった。
だが、先日、読まないと、人生で困ることが起きてしまった。
仕事で、あるクルマが小説に描かれているかどうかを調べなくてはならず、その車名と小説というキーワードをインターネットに打ち込んだところ、絲山秋子の『スモールトーク』がヒットしてしまったのである。
「ありゃ、読まないと、仕事にならないな」
仕事となると、先入観はある程度無視できるタイプなので、まよわず書店に走った。そして、即日、目を通した。
結論からいうと、こちらの先入観は見事に裏切られた。
これは、もともとはクルマ雑誌『NAVI』に連載された企画小説。出版社が著者に毎回乗りたい1台を用意し、そのクルマのインプレッションを交えながらストーリーを展開させ、それを一冊にまとめている。
一応、ラブストーリー仕立て。主人公は、たぶん30がらみの独身女性。売れない画家だが、エンスー気味(古い!)なクルマ好き。で、その彼女を昔ふった40がらみの男が、音楽プロデューサーとして成功したあぶく銭を元手に、高級かつレアなクルマをとっかえひっかえし、それをエサに再度彼女に近づいていくという内容だ。
まあ、設定自体、すごく洒落ているわけだが、そういう意味からだけなく、小説全体にずいぶんな華が感じられた。ぜんぜん辛気くさくなく、地味でもなかった。正直、文章に施されたゆたかなエンターテイメント性に、心底驚いてしまった。敢えて喩えれば、ロバート・P・パーカーのハードボイルド小説を彷彿とさせるが如きの記述の数々、こいつらに相当やられた。
例えば、こうだ。
『後ろ向きなのはいつも男の方だ。いつまでも過去のことをうじうじとしみったれて、女々しいのは男だ。別れるとき、じゃあねと言って去っていくのは男で、さっぱりと見送るのは女の方がいい。男はいつまでもルームミラーで後方を見ながら洟をすすったり下らないことを思い出したりしながら渋滞のなかを進むしかないのだ。せめて見栄だけでも張りたいのなら後ろ姿のいい車、ディアマンテワゴンとか、アウディTTに乗って、軽くクラクションでもかまして立ち去ればいい』
『ローマの風景は忘れられ、イタリアの男の記憶もいずれ薄れる。でも、もし全てを忘れてしまったとしても、イタリアの車を、台所に転がっているイスラエル産のグレープフルーツみたいに思いたくはない』
『ベクトラは確かにいい車だ。今度はSAABの顔したインプレッサが出るという。どうなんだろう。イチゴの形をしたブドウを私は食べるだろうか』
『新しい車に次々搭載される機能はこの喪失感に何の救いも与えない。神経を逆なでするようなばかばかしい小細工はこれからも続くだろう。血圧や体脂肪を計ってくれる車が出たっておかしくない。私は、技術と夢を混同していた時代の人間だった。オートクルーズにしても、パーキングサポートにしても、本来そのくらいの能力は身につけていなければならない人間をさぼらせるものでしかない。今この時点でのハイテクは不要なおもちゃだ。携帯電話に機能が増えたって、かけたい相手は増えないし、話すことなど決まっている、それと同じだ』
うむむむむ、という感じ。
たしかに、ところどころ偏屈だったり、狭量だったりする著者の性向は感じられる。だが、それらは逆にハードボイルドな華として咲く本質の部分となっているのではないか……。
主人公がクルマを愛でたり、批判するくだりは、まるで、私立探偵スペンサーが銃を語るときのように、かっこよかったりする。クルマ好きなら、読んだら死ぬ。
しかも企画小説だからといって、著者はまったく手を抜いておらず、いったん終わったかと思ったストーリーに、まったく別の登場人物を登場させた最終章「ダイナモ」をあえて付け足し、ストーリー全体に決定的な情緒を加えてくる。小説好きなら、きっとここで死ぬ。
読後、もう、平謝りのようにして、絲山秋子の小説を数冊買った。
まあ、どれもこれも設定が地味なこと極まりない。しかし、ハードボイルド絲山秋子を意識した目には、どれもこれも華やぎに満ちたものとして楽しめた。
そう、先入観からはじまった読者と作者のたたかいには、『スモールトーク』によって平和な終わりが告げられたのであった。