「妊娠中から厳重な健康管理を心がけ、《自然な》陣痛に耐えて《自然な》経膣分娩をなすべし。イタくとも出が悪くとも母乳育児を諦めるなど言語道断。食べた物は全部母乳に出るのでヘルシーな食物のみを口にし、1日24時間スキンシップを実践する覚悟で接し、間違ってもテレビは見せず、娯楽は母の子守唄と母の読む絵本でまかない、1日3時間の外気浴と外遊びを欠かさず実践し……、母がこれらの指示をことごとく実践できてこそ、子の健康で幸福な人生はあるのだから、まあ、出来る範囲で、決して完全主義に陥らないように細心の注意を払って、かしこく手を抜きながら、頑張りすぎないように頑張ってください……」
「乳幼児の母」となり、上記のような無茶なプレッシャーを四方八方からかけられる立場に自分が立ってみたとき、改めて思い返されたのが、グレッグ・イーガン『万物理論』の、「小さいHワード」をめぐる印象的な対話でした。
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「意見を異にしたり、理解できなかったりする人々にむけて、あなたが提供できる、もっとも押しつけがましいことはなんですか?」
「さあ、なんですか?」
「その人々を治癒すること。それが最初のHワードです。健康〔health〕」
「なるほど」
「医療テクノロジーはスーパーノヴァ化寸前です。あなたは当然お気づきでしょうが。さて、それほどの力はなんのために使われることになるでしょう?"健康"の維持、あるいは創出のためです。それでは"健康"とはなんでしょうか?だれもがその定義として認めているあきらかなたわごとは忘れてください。最後のウィルスや寄生虫や癌遺伝子が跡かたもなく完全に根絶されてしまったとき、そのとき"治癒"の最終目的はなんになるでしょう?わたしたちがみな、《エデン主義》的な"自然律"に運命づけられたなんらかの役割を演じ、〔中略〕本来わたしたちが生物として最適化されている状態―狩猟と採集で糧を得て、三十歳か四十歳で死ぬこと―に回帰することでしょうか?それとも……技術的に可能なありとあらゆる存在の様態〔モード〕を切りひらくこと?その場合、自分は健康と疾病の領域を定義する専門家だと主張した人が……すべてを決めることになります」
グレッグ・イーガン『万物理論』(山岸真訳)、東京創元社、2004年、99-100ページ
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「意見を異にしたり、理解できなかったりする人々にむけて、あなたが提供できる、もっとも押しつけがましいこと」とは、現在の日本においては、たとえば「子育て」をめぐる以下のような言説であるのかもしれません。