映画公開にあわせ、『トゥモロー・ワールド』へと改題されたP・D・ジェイムズのSF小説(ハヤカワ文庫)は、ヒトに生殖能力がなくなり、子の誕生の一切が絶えた近未来のイギリスが物語舞台となっている。種の絶滅を自覚した人類最後の生き残りたちが、不信仰に陥り、自殺を合法化し、天然資源を使いまくり、性欲を減退させているという設定には、妙に説得力があるのだが、それと同様、M・ウエルベックによるSF的小説である本書においては、生命誕生のメカニズムが統制された世界では――つまりクローン技術が確立され、“無限の命”が実現された世界では――、人間の生活様式も、思考法も、理念も、そして「愛」の概念も大きく変貌するはずだという、書き手の“未来の考察”がリアリティを備えている。
物語は、21世紀を生きる、辛口コメディアンとして社会的・経済的成功を収めた中年男であるダニエル1と、その2000年後の世にクローン人間=「ネオ・ヒューマン」として生きるダニエル24の2人を語り手として進行する。ダニエル1は、いわば高度資本主義社会の勝ち組であり、(とりわけ性の領域での)個人的欲望の拡充に余念がない。しかし快楽追求の果てに、“老い”に怯え、孤独に苛まれる彼は、自叙伝を残し、クローン技術の開発に全てを託す。
一方のダニエル24は、ダニエル1が残したその人生記によって、初めて涙や笑いの、そして他者との接触の意味を知ることになるのだった――。
「ダニエル1の遺伝子からつくられた僕は、彼と同じ特徴を持ち、彼と同じ顔をしている。(笑)しかし、この「くっくっくっ」という特徴的な声を伴って起きる、「笑い」と呼ばれる劇的な表情のひずみは、僕には真似ることができない。僕にはそのメカニズムを具体的にイメージすることさえできない。」(p54)
ウエルベックの批評性と容赦なき省察は、ときに読むわたしたちを不快にさせるほどである。たとえば、遺伝子操作によって次世代へと生まれつぐクローン人間にとって、「性欲」とはどういうものかなどを語る場合には。しかし、そのあたりも含めた「愛の可能性」という大きなテーマを結実させる、最終章へのスパークは必読である。
同じ筆者による『素粒子』(ちくま文庫)とあわせて読まれることをオススメしたい。が、本書をウエルベックの(いまのところの)最高傑作と評価する声には異議がない。とにかく、07年に邦訳された海外小説のなかで、読み落としてはもったいない1冊であることだけはたしかなのだ。