ディネセンは、いかにも勇敢であり、素手でアフリカ社会のなかに分け入り、すぐれた直感で、アフリカの本質を理解してゆく。「アフリカこそが教えてくれるもの、それは神と悪魔とは一つのものであり、ともに永遠性を分かちもつ偉大なものであり、原初から在る一つのものだということである。」まさに卓見である。ディネセンはすぐれた観察眼をもち、その分析も優れ、彼女は押さえるべきところをよく押さえている。たとえばヨーロッパとアフリカにおいて正義の観念がまったく違うことなど、興味深い分析が本書には数多く書き記されている。
ただし読者は忘れてはならない、著者がこの散文を書き綴ったのは、彼女が農園経営を失敗し、すべてを失ってデンマークに帰国した後なのだ。ディネセンは、書くことをつうじて、自分の敗北した人生をもう一度救い出したかっただろう。経済的にはまったく失敗に終った自分のアフリカでの日々にはすばらしい輝きがあったのだ、と、なんとしてでも証明したかっただろう。
振り返ってみよう、ディネセンは1914年はじめてアフリカに渡航し、ケニアで結婚し、資本を携え、カレン・コーヒー・カンパニーをはじめた、第一次世界大戦のはじまった年である。以降、十八年にわたって彼女はアフリカでその仕事に従事したものの、けっきょくコーヒー農園の経営は破綻に終る。
彼女は書く、その破綻はけっして土地の人たちとの関係が劣悪化したからではなく、相互の関係は最後まで良好であり、破綻はただ事業が立ち行かなくなったにすぎない。「私たちは最後の最後まで、お互いがそばにいることから不思議な慰めと平安を感じとっていた、と私は思う。お互いのあいだにあった理解は理屈を超えた深いものだった。このつらい数ヶ月間、私はくりかえし、モスクワから退却するナポレオンのことを思った。自分のひきいる大軍の将兵たちが身のまわりで苦しみながら死んでゆくのを見て、ナポレオンは非情な苦痛を味わったと通常言われているが、しかし、もしも彼と行をともにするその大軍がいなかったとしたら、ナポレオンはその場でくずおれて死んでしまったとも考えられる。夜更けに私は、あとどれくらいしたら、キクユ族たちがまた家を取り巻きに来てくれるかと時間を数えるのだった。」
と同時に彼女は正しく理解してもいる、「私たち白人はここの人びとから土地を奪った。奪ったのは彼らの父祖の土地にとどまらない、さらに多くのもの、すなわち、ここの人々の過去、伝統の源、心の寄りどころを奪ったのだ。彼らがこれまで見慣れてきたもの、そしてこれからも見づづけてゆこうとしているものを奪えば、それはかれらの眼を奪うにひとしい。これは文明化した人びとよりも、素朴な人びとの上に、いっそう強く現われる、動物たちは自分のよりどころを失った場合、それを取り戻そうと、危険や困難にもめげず、長い道のりをたどって、なじみ深いもと居た場所へと帰ってゆく。」しかも注目すべきは、この自分たちの非を誠実に認める文章においてなお、アフリカ人たちはまたしても、動物の比喩で語られていることである。おそらくディネセンは、この時代の善意の入植者の標準的人物だったのだろう。
かつて植民地主義という時代があった。入植者も現地人もその時代を生きた。ディネセンは、ひとつの時代精神を美しい散文に書き残した。その文章の美を手放しで賛美することはもはや許されないとしても、美質はいまなお息づいている。南アフリカの白人アフリカーンス作家J.M.クッツェーの時代に、ディネセンを読むことは、なんともスリリングな体験である。