一方経営難から身売り、博多に置いた本拠地まで1978年所沢に移された挙げ句、新球団の幹部に「福岡のファンは不要」と言われて、博多西鉄ライオンズの栄えもあれば傷もあるいろどり豊かな歴史を一度は切り捨てた所沢西武ライオンズが、所沢に転じてちょうど30年、区切りの年に球団の歴史を振り返って博多時代を見直そうということで張ったのが、先の始球式を含む「クラシック・ライオンズ」というキャンペーンらしい。
そのエグゼクティブ・プロデューサーに任名され、まっさらなマウンドにも立った西鉄栄光の立役者のひとり豊田泰光が、西武ライオンズの選手が西鉄の復刻ユニフォームを着て公式戦を14試合戦うなどこのキャンペーンの風景を、昨年11月に他界した西鉄黄金時代最大の功労者、神様仏様稲尾様の鉄腕「稲尾に見せてやりたかった。僕らの栄光が消えてなくなろうとしている時だったから」と落涙したという話を聞くにつけ、ただのセレモニーとはいえあとに戦われるゲームにとって、こちらの始球式の方が「ふさわしい」と言ってみたくなるのは僻目だろうか
1969年に引退、近鉄のコーチを一年務めてからこっち、球界のご意見番として歯に衣着せぬ厳しくも優しい声をネット裏から投げ続けて40年近く、超一級にわずかに届かなかった選手時代の成績をではなく、長きにわたる評論活動を顕彰されて目出度くも2006年、特別表彰の枠で野球殿堂入りした豊田泰光の、切っ先のいよいよ鋭いことばが満載と聞いて手にしたのが『落合博満 変人の研究』ねじめ正一著。今年の春の刊行。
昨季はペナントレースを落とすもプレーオフに勝って日本シリーズへ。4勝1敗で日本ハムを下して53年ぶりの日本一に輝いた落合中日も、今季は首位から大きく離され9月末時点で、3位を広島と激しく争って2季連続日本一への道は崖っぷち。
選手を悪く言わないから負けがこむと貝になるし、北京五輪で野球は惨敗、選手時代に落合が仕えた敗軍の将、星野仙一に世の人の目は集中するし、あるいは「オレ流」もいまやいつの間にか世間になじんだのか、落合博満の周辺はここのところあまりにぎやかではない。そんな折、時宜を得たのか得ないのか一読、『変人の研究』は落合をめぐる幾多の言説の中でも異彩を放って刺激に満ちている。
よく知られたのもそうでないのも、落合にまつわる伝説のいくつかを序に披露したあと、ねじめは落合をホヤにたとえて、その滋味を味わうには相応の勇気が要るというところから「変人」の魅力についての持論を展開、また対談、座談を通じて落合博満という人物の奥の、光の届きにくいところを照らそうと奮闘する。
選手時代に対戦のある江夏豊には、それまで全ての球種を追いかけて打ち返そうしていた落合の、真っ直ぐだけを待ち続けてカーブを三球三振、何事もなかったかのようにベンチに帰っていった突然の変貌ぶりを見て怖れを抱いたというエピソードや、その采配については非常にオーソドックスだとする見立てを語らせ、ホームレスの精神を自然に備えた自由生活者だとか、古道具屋の目利きだとか、思わぬ方から眺められた落合像を「トマソン」赤瀬川原平から引き出し、同じ対談において、実家が昔乾物屋で自身なじみのある鰹節のカビを今度はたとえに挙げて、ねじめは落合に迫ろうとする。