昭和七年の暮愁(ぼしゅう)庵句会は、新盆の送り火の翌日におこなわれた。
改札に切符をわたし、阿藤ちゑが日暮里の駅舎を出ると、油蝉の声があたり一帯に沸きたっていた。銀鼠(ぎんねず)の羅(うすもの)と帯のあいだにはさんだガーゼの手巾(ハンケチ)をとりだし、髪の生えぎわの汗をぬぐう。
もう、梅雨は明けたのかもしれない。浅草の四万六千日も一週問前に過ぎ、昼下がりの暑さは目眩(めまい)を覚えるほどであった。
と、まず書き出しから、良き時代の風が心地よく吹いてきます。
この物語の中心となるのは、俳人秋野暮愁が主催する暮愁(ぼしゅう)庵句会に集(つど)う、大学教授の父を亡くしたばかりの阿藤ちゑ、東京女医専門学校の学生の池内壽子(ひさこ)、浅草芸者の松太郎という三人の麗花たち。
本書は、この三人の麗花が、句会を通して育む友情と、それぞれの恋模様を軽妙洒脱に描いた連作形式の長篇小説であります。
嬉しくなるのは、その麗花たちを取り巻く文化的な香りいっぱいの人々。上野から田端にいたる高台の一角渡辺町の宗匠・秋野暮愁、その句会の同人たち、俳壇の重鎮・高濱虚子、歌舞伎役者の播磨屋・中村吉右衛門や音羽屋・尾上菊五郎。まるで明治座の舞台でも見るような登場人物がたまりません。
さらに四人の同人のキャラクターも秀逸で、五十前後の年格好という、白山で写真館を営む穂邨(すいそん)さん、神田にある古本屋のあるじの南海魚(なんかいぎょ)さん、三井合名社員でやはり渡辺町に住まう政雄さん。更に、去年還暦を迎えたという下谷に住む筆職人の銀渓(ぎんけい)さん。と、俳句好きというのは然(さ)もありなんという人たちばかり。
そして、「句会シーンは読み応え十分。本邦初(?)の句会小説」との宣伝コピーの通り、俳人でもある著者は丹念に句会の状況を活写してくれ、これを読めば句会開催のノウハウはバッチリお任せあれの一冊になっています。
席題 端居 守宮
投句 各一句
〆切 二時
選句 三句(うち天一句)
暮愁先生は立ちあがって、半紙を襖の鴨届に鋲で刺した。「端居(はしい)」とは暑い季節に縁側で涼をとることである。「守宮(やもり)」はよく家の壁にじっとはりついている爬虫類だ。
こうして先生から発表されたふたつの季語をひとつずつ用いて、めいめいがこれから一時問のあいだに俳句をふたつ作り、そののち互選、披講へと座は進んでいく。
「…さあ、定刻だ」
暮愁先生が床の間にあった矩形(くけい)の漆盆を座卓の中央に移した。
盆のなかに一同が順々に短冊を裏返しに置く。(中略)
つぎに句座は清記と呼ばれる作業に進む。
合計十四枚の短冊をトランプを切るように順不同にし、全句を清記の担当者があらためて半紙に書きうつす。清記することによって、だれがどの句を作ったのかが筆跡で判断できなくなる。
その上で清記された句を互選をしていくのである。
各人が選んだ句を読みあげることを披講という。だれがどの句を選んだか、その句はだれの作品かが、この場ではじめて明らかになる。
といった具合で、まるで句会のドキュメントを読むような楽しさもあります。