とても出版社の名前とは思えない「港の人」は、詩人の北村太郎の未刊行詩とエッセイを収録した『光が射してくる』もそうだったが、かゆいが誰も手を伸ばさない場所に、ちゃんと届かせて本を作る。いま出版不況と言われて、本回りの業界は暗い話題ばかりだが、『佐藤泰志作品集』を世に問うたクレインなど、ときおり夜空に光る稲妻のような出版物を押し出す社だってある。
それにしても神西清か。チエーホフなど露文の翻訳で名高く、堀辰雄全集の編集委員として名を連ねる文学者だが、一九五七年(ぼくの生まれた年だ!)に五十五歳で没し、半世紀たった今では、岩波や新潮文庫の海外文学に訳者として名が残るだけで、ほとんど忘れ去られている。小説を書いていたことさえ、知られていない。
いま訳書以外で唯一読めるのが『神西清日記 全二巻』(クレス出版)。その編集もしたのが石内徹で、本書の「解説」に、著名な文芸評論家がテレビで「神西清」を「かみにしきよし」と読んだと嘆いている。稲垣足穂も埴谷雄高もその名前が人の口に上り、しっかり発音されることで正式な読み方が継承される。「じんざいきよし」は、まず半世紀かけて、人の口からこぼれること激減していた。無理もない。神西の創作集『灰色の眼の女』が中公文庫から十五年前ぐらいに消えた時、神西も消えたのだ。我々は忘れるのに忙しく、芥川・直木両賞にも縁のない作家を憶い出すのには相当の努力がいる。
「ブック・ジャパン」だから、これだけ前置きが書けるのだ。普通の書評なら、この十分の一も言えない。しかし、ここまでがかんじんなのだ。そうでなければ、この素晴らしい小説集を安心して紹介できない。
表題作を始め、「水と砂」(本書初の完全収録)、「恢復期」「垂水」「灰色の眼の女」「少年」「地獄」など、神西の仕事を代表する十編を読めば、その日本語の美しさに驚くだろう。ここに織り上げられた中短編は、どれも掛け値なしに日本語における第一級の達成だ。水道水ばかり飲み慣れて、ついぞ口にしなかった山の水を口にふくんだ清冽に似た何かを、私はこの作品集に感じた。どれも短く素っ気ないタイトル(平均して三文字)は、かえってこの文学者が自作に自信を持っていたから、かのように思える。長々しいタイトルで読者を幻惑する必要はなかった。
例えば「雪の宿り」。「応仁の乱」に巻き込まれた連歌師が、雪降る晩にゆかりの寺でその一部始終を語る。京の町が一面火の海となり、雑兵たちが傍若無人に荒し回る様を、神西は連歌師の語りで描く。
「あの宏大もないお庭先いちめんに、書籍册巻の或ひは引きちぎれ、或ひは綴りをはなれた大小の白い紙片が、折りからの薄闇のなかに数しれず怪しげに立ち迷つてゐるではございませんか。そここに散乱したお文櫃の中から、城蛇のやうにうねり出てゐる経巻の類ひも見えます。それもやがて吹き巻く風にちぎられて、行方も知れず鼠色の中空に立ち昇つて参ります。(中略)わたくしはもうそのまま身動きもできず、この世の人の心地もいたさず、その炎と白と鼠いろの妖しい地獄絵巻から、いつまでもじいつと瞳を放てずにゐたのでございます」
息も乱れず、正確にコントロールされた言葉が、イメージ豊かに繰り出されている。巧い使い手にかかると、現代日本語がこんなに生き生きと働くのかと、ただうっとりとするだけだ。もちろん、解説で石内が指摘するとおり、ここには、太平洋戦争の戦火が重ねられている。文庫が焼かれ、蔵書がちぎれながら空に舞うシーンはダイナミックに描かれながら、どこか静かで美しい。「炎と白と鼠いろ」と、注意深く力点が差し出されているが、読んでわかるとおり、色の使い方がうまいのだ。
日中開戦前夜に、在日のソ連通商部に勤務した体験を描く「灰色の眼の女」では、神西の色彩への執着はよりいっそう明らかになる。「それはふくよかな薔薇色の顔をした若い女で、背が高いので目だたないが肉づきもゆたか、その堂堂たるからだにクリーム色の毛皮外套を長めに着てゐる。その下から更に、襞の多い白いスカートの裾が一二寸出て、肉色の靴下の先は白鞣のきつちりした靴になつてゐる。深目にかぶつた帽子もやはり純白で、そのかげからブロンドの房々した髪がのぞいてゐる」
「灰色の眼の女」は昭和二十一年十月に「思索」に発表された。戦中の女性が鮮やかな色の衣裳を身につけることなど考えられなかったから、まだあちこちに焼け跡の残る日本で、この色彩豊かな文章を読むことは、読者にとってまさにまばゆい思いをしただろう。
「恢復期」は、熱海の別荘で、女性に看護されながら療養中の若い娘が、薬包紙に万年筆で書き留めた日記という体裁を取る。看護する百合、画家の父親と、切り詰められた登場人物で、一幕ものの舞台を見るように物語は進むが、ここでは、「私」が病臥のためあまり動けないことから、聴覚を動員した文章になる。「聴く海。正しさを失はない為には、私は耳によつて海を理解するより他に途はない」はその一例。病んだ少女、海沿いの別荘、美しい付き添いと彼女と結ばれることを予感させる父親……ありきたりな少女小説の筋立てで通俗を免れているのは、ヨーロッパ文学を深く学んだためか。福永武彦は、堀辰雄の同名小説と並べて「むしろ神西さんの方が僕はいいような気がする」と褒めたという。
もちろん、彫啄を極めた文章、西洋小説を輸入した心理主義的傾向、淡い陰翳を写す繊細な描写などは、自ずと限界も含んでいる。社会を大づかみに捕らえるダイナミズムや、劇的な葛藤、複雑にいりくんだ人間同士の対立関係などを描くのに、神西の文章はあまり向いていない。長編小説が書けなかったのもそのためだろう。
しかし、いま読んでもいささかも古びない文章は、本当の小説好きを十分に楽しませてくれる。それだけで十分だともいえるのだ。