坂井三郎モノといい、零戦モノといい、世にあるその類の本はたいてい若いころから読み倒しているつもりだが、どうも最近のは旧本の焼き直しだったり粗製乱造だったり、つまり、愛が不足していてつまらんなあと思っていたところであった。
愛が不足しているとどうなるかというと、手放しにヒーローな撃墜王だったり、無反省にスーパーな名戦闘機ができあがることになる。そしてやがて、真実がわからなくなる。
そこへいくと、本書には愛がある。
何の話だ、という人のためにちょっと説明すると、坂井三郎という旧海軍の撃墜王がいた(故)。自らの戦闘機乗り体験を記したベストセラー本『大空のサムライ』(光人社)の著者としてつとに有名である。
その坂井は、日中戦争と太平洋戦争を通じて主に零戦に搭乗して敵機64機を撃墜したということになっている。「なっている」というのは、のちにその撃墜数に疑問を投げかけるような発言や記述が各方面からなされているからだ。
坂井の名誉のためにいうが、もともと撃墜数というのは実に不確かなものらしい。彼我たがいに時速500キロ、殺すか殺されるか、背中に冷や汗びっしょりという状況下で、誰が冷静に墜落した敵機の数など数えていられようか。
ともあれ、ベストセラーの著者となり、日本でいちばん有名な零戦乗りとなった坂井へのやっかみもあっただろう、別の零戦乗りの手記などに、さすがに名指しは避けてはいるものの、暗に坂井の話は怪しいといった趣旨の記述を見ることは少なくない。つまり、坂井という人は、その撃墜数も含めて毀誉褒貶の激しい人物なのである。
では零戦についてはどうだろう。いわずもがな、日本でいちばん有名な戦闘機である。紫電改、隼、飛燕などなど2番手以降が束になってかかっても敵わないカリスマ戦闘機である。だいいち「ゼロセン」って、なんだそのかっこいい響きは。
が、しかし、それがそんなに名機だったのか、とあらためて問われると、実物を見たわけではないので、にわかに自信が揺らぐ。
あ、いや、見た。1995年の夏に茨城県の龍ヶ崎飛行場で見た。当時世界に1機とか2機とかしかない飛行可能な機体のうちの1機が飛んだ。P51ムスタングとのデモフライトだったのだが、P51の低く腹に響く液冷V型「マーリン」エンジンの獰猛な音にくらべると、零戦の空冷星型14気筒「栄」エンジンの音のなんと控え目だったことか──。
横道に逸れてしまったが、つまり、実物は見たけれど、実際に戦闘機としての性能を見たわけではない。だから、名機であってほしいけれど、本当のところはわからない。
そういうわけで、坂井三郎という人物の真実、零戦という戦闘機の真実、そのふたつについて実にスッキリさせてくれるのが、本書なのである。
かいつまんで、という言葉があるが、オタク知識のように重箱の隅をつつくのではなく、的確に知りたいところを教えてくれる。
これまで触れられることの少なかった坂井の撃墜数「64」についても、あっさり「30機前後」と、撃墜リストまでつけて解説してくれる。
ゴルフのスコアは少ないほうがいいし、撃墜数は多いほうがいいけれど、真実でない数字は、虚しい。
数字はずいぶんと減ったが、そのことで坂井の価値がまったく損なわれるものではない、とこの本はいうのである。
著者は、坂井三郎というパイロットの特質をひとつひとつ挙げながら、その凄さを検証し、撃墜王としての価値を立証していくのである。あまつさえ『大空のサムライ』について、
「世界広しといえども、これほど感動的なパイロットの手記は、他にないと断言できる」
とまでいうのである。つまりこれを、愛というのである。
零戦についても同様である。それは昭和16年初頭から17年の後半までのほんの短い期間ではあるが、と慎重にエクスキューズしながらも、
「その総合力からいって、世界最高の戦闘機であった」
と誇らしげにいうのである。
冷静に、慎重に、愛に溺れないように、坂井三郎と零戦を再確認していく、これはそんな好著である。
著者三野正洋はベストセラー『日本軍の小失敗の研究』(光人社)を著した学究肌の人である。その人をして、
「昭和15年、中国戦線にデビューしてから20年の終戦まで、零戦が飛行しなかった日は、1日たりともなかった。これだけ永い間、働き続ければ、当然圧倒的な勝利も悲劇的な敗北も経験することになろう」
などと、ついついセンチメンタルなことを書かせてしまう。そこらへんが零戦の不思議な魅力ということなのだろう。