この本は、荒川洋治、最新のエッセイ集で、読書関連の文章が多く含まれている。2007年と2008年に新聞や雑誌に発表された文章から選ばれているので、まさしく只今の荒川洋治が何を考え思っているのかがこの本に詰め込まれているといっていいだろう。
私は荒川洋治の本が出ると知ると、それだけでワクワクするのだが、今回の『読むので思う』も期待どおりの内容だった。
タイトルについては、著者も少し分かりにくいと思ったのだろう、あとがきで、
――ふだんは何ひとつ思わない。本を読むと、思うことが生まれる。と説明している。
「本を読むと、思うことが生まれる。」
いい言葉だなあ。こういういい言葉が随所にあるので、荒川洋治の本は、読み終えたあとまたすぐ読み返したくなるのだ。内容はもう頭に入っているので、二度目には、文章の方だけに注意が向かい、言葉のリズムなども強く感じられるようになる。まるで音楽を聴いているみたい。この二度目の読書が楽しい。
荒川洋治は、ここで色々な本を読み、「思い」を語る。
例えば、北村太郎の本を読んでは、北村太郎のことばに出会う。
「読書によって心が広くなるより、狭くなる人の方が多い。」
自分の好きなものしか読まないでいると、一つの小説の型、考え方の型、生き方の型、美の型だけにしがみつくようになり、それとちがうものは認めようとしなくなる危険がある、というのが北村太郎の考えだ。
そして荒川洋治は思う。
――考え方の型、生き方の型までは思いついても、「美の型」ということばは出そうで出ない。ものごとをよく見渡せる人なのだとあらためて思う。
また荒川洋治は、活字離れという現実に目を向ける。
よく企画される「若い人のための名作リスト」について、その選択がこれから本を読んでいこうとする若者にとって適切ではない、というのである。尾崎紅葉は、よくリストに挙げられる『金色夜叉』より『多情多恨』の方がいい、夏目漱石は『吾輩は猫である』より『こころ』『門』の方が、『失われた時を求めて』は長過ぎるので、『脂肪の塊』や『緋文字』、『人形の家』、『武器よさらば』の方が読みやすいと。
若い人や読書経験の少ない人が読んでも、思わず引き込まれるような作品を選ぶべきで、
――読んで何も感じなかったら、その人の読書はそこで止まる。
と心配している。
荒川洋治は、「名作リスト」がありきたりなのは、選ぶ方が未成熟なのではないか、とこの章「無理」を閉めている。
私が興味深く感じたのは、荒川さんの気持ちは若い人に向かっているのだけれど、決して分かり安い方、簡単な方に行かないということだ。もし、ある作品を読んで、文学の炎が若い人たちのこころに生まれるとしたら、その作品に文学の炎があるということだ。でもその炎を感じ取るのはそう簡単なことではない。荒川さんが、漱石の『門』を選んでいるのは、そういうことだと思った。