ほどほど以上に面白かった。
話の展開がよく、犯人側、犠牲者、捜査する警察陣の描き方もすっきりまとまりがよく、電車の中で読んでいて「ウツラウツラ」することがなかった。
毎日の通勤電車の中で本を読みこなしているが、座って読んでいて「片道で2回」眠るようだとその本を読むのを止めて新しい本にかかる、と決めてある。3回の場合もないではないが。
凄く面白く、ぐいぐい引っ張っていってくれるような本や、科学畑の本で新しい知識をもたらしてくれる本であればウツラウツラすることがほとんどない。ということで、読み終えるまで一度も寝なかったこの本は、おすすめということになる。
いつも思うのだけれど、「この本は面白そうだ」という直感は、自分の中の何に根ざしているのだろうか。
本が新刊で、作家は初めて見る名前。翻訳者にも記憶がない。とすれば、面白いかどうか、楽しめるかどうかなんて賭けのようなモノだ。といって昨今、そんな賭けをしている余裕はない。新刊をあまり買わなくなってしまった私なので、金を払って「ハズレ」の本を手にしている場合ではないのだ。
新刊でも、原書が出版された国で評判だとかなんとか耳に入っていれば翻訳本の出版を待って買うことはある。また翻訳者に関しては、これまで何十年も翻訳ミステリーを読んできた経験から、出版社が力を入れているシリーズなどは、しばしば眼にする有名翻訳者を起用しているように思う。この人はあの有名シリーズを訳している人だな、と思い出せるような人に任せているような気がする。しかし、この本の場合はその翻訳者にも特別記憶がなかったのだ。
こうなると、装幀や文庫本に付きものの帯のキャッチフレーズに惹かれるのか。実は、眼鏡を持たないで本屋に行くと帯の細かい文字が見えにくくなってきた。
講談社文庫の海外ミステリーには「登場人物の名前と職業を書いた」栞が挟まっているので、これをチラリと見ることが多い。ある土地の警察組織の人々、それにFBIの捜査員の人名など、警察がらみのミステリーに絡む登場者が沢山いた。これはまた「地元警察とFBIがもめるな」という予想はできた。元陸軍の狙撃兵というのもいて、どういう役回りなのだろう? と思ったりもしたのだ。
とにかく「この本は、いい感じ。面白そうな匂いがする」と感じて、店頭に並んだ日に買った。
主人公は女性科学捜査官。分析室にいて白衣を着ているような存在ではなく現場でハードな仕事をする。
彼女は、15歳の時に自分の目の前で「助けを求める友人」が誘拐されてしまったという経験がある。誘拐された友人が、自分の家に来た事情の一部は「自分のせい」ではあるが、それ以上に、私が助けなかったから友達が誘拐された、という心の負担がある。繰り返しその時の状況を思い出したり夢見たり。昨今「トラウマ」などというけれどね。
それは20年以上前のことで、その友人は今「生きているかどうかわからない」。たぶん死んでいるだろうけれど、絶対に死んでいるとはいえない状態のまま。こうした過去を持ち、今は周囲の人に信頼される女性科学捜査官となっている。そこに少女誘拐事件が発生し、彼女が捜査に携わることになる。
私が「選んでしまうだけ」なのかどうか、近年の海外のミステリーに、連続的に女性を誘拐して「生かしたまま監禁、そして陰惨に痛めつける」という類のモノが多い気がする。なんだろう、民族的なモノなのか、宗教的なモノなのか、抑圧された精神がそういう犯罪をさせてしまうということがわからない。
そういう犯罪を多く描く作家たちがいることの背景が、わかり切らない。現実にそういう事件が多いのだろう。
監禁しておいて、痛めつけることはするが、殺さずに延々生かしておくから残酷だ。暗い部屋で不安にさいなまれて生きているうちに精神が破壊されてしまう。最終的に救助されても後遺症がいやな形で残ってしまう。小説であっても、まったく嫌悪感いっぱいになる。
ボストン市警の女性科学捜査官ダービー・マコーミックは、「あのとき私がああしていれば」という遠い日の記憶を反芻し続ける。そうして、今起きている誘拐殺人の犯人を、あのときの贖罪として、どうしても捕まえなければという風になるわけだ。
この受け取り方は違っているかも知れないけれど。
さてと、このあとが「話しにくい」のだ。
あちこちにいろいろな仕掛けがなされた小説で、ぐいぐい読んでいって、「あ、あれがそういうことか」ということがあったり、「え!」それはないでしょう、と翻弄されたりする。とてもいい緊張感が最初から最後まで続く。珍しく、主人公の女性捜査官に対する男の上司からのセクシャルハラスメントがない。
自分の友人が誘拐されて戻ってこない事件から20年以上たっているのに、この事件はあのときの? と思わせることが出てくる。
あのときの犯人がまだ捕まりもせず、犯罪を続けているのか? なぜ捕まらない?
昨今、科学捜査がずいぶん進んでいて、血痕だの足跡だの、ペンキだのから多くのことがわかり、さらにコンピューターでデータベースにアクセスすることで多くの情報が手に入る。しかし、そうした情報が手に入ることと、犯人が捕まることは別で、犯人も同じように情報を手に入れ、逃げてしまう。ただ、科学とコンピューターの力を持ってしても、延々時間がかかったり、元々データがなかったりでは、どうにもならない。FBIに検査を頼むとものすごく時間がかかるという場合もあるようで、それは事実なのだろう。
犯人が「ミスリードするように」仕掛けた手に引っかかってしまう捜査陣。
地元警察が調べている事件にFBIが介入してきて、おなじみのやりとりが出てくる。「ここからはFBIが事件を担当する、君たちは引き上げてくれ」ってなもんだ。しかし、腐らずにFBIとは別に地元の警察や科学捜査官たちが地道に証拠固めをしていく。
徐々に筋道が見えてきたあたりで、当の女性科学捜査官が誘拐されてしまうのだ。それも…
と、思わせぶりにして止めておこう。
男性作家の手になる女性主人公。なかなかいい。ただの登場人物、と思っていると実はこの人間が事件の鍵を握っている、という油断のならないストーリーで飽きることがない。
それにしても、連続誘拐殺人を「丹念に描かれると」読んでいるのがとても辛い。この本の場合は、それを越えて面白かった。