昔から地方に伝わる民話のような味わい深いの絵本を見つけた。ストーリーはこうだ。
昔、びわ湖のほとりに小さな村があった。村人は、湖の貝や魚をとって豊かに、そして平和にくらしていた。
しかし、夏、夕立ちがくると、決まって雷が大暴れする。牛や馬、人にまで落ちるので、人々は不安にかられた。
村に「くさまお」という男の子がいた。くさまおは、びわ湖のぬし・大なまずの知恵を借りて、雷獣(らいじゅう)を捕まえることにする。雷の手下・雷獣をやっつけると、雷は落ちなくなるというのだ。
くさまおの計画通り、雷獣は捕らえられた。村人たちが雷獣をいためつけようとするが、くさまおは、村に雷を落とさないことを約束させ、雷獣を空に帰すのだった。それ以降、村には雷が落ちなくなり、人々は平和に暮らすことができたという。
小さな男の子のくさまおが“おしっこをちびりそうになる”ほどおそろしい雷獣をつかまえ、そして逃がしてやるという、勇気とやさしさがあふれたストーリーなのに、絵が物悲しく感じるのを最初は疑問に思った。
しかも絵が16画面中、6画面がモノクロで、明らかに作者のタッチとはちがうのだ。
だが巻末の、梅原猛と作者の伴侶・鈴木靖将による解説を読んで合点がいった。
本書は、作者の三橋節子の遺作だったのだ。
この作品ができた経緯はこうである。
三橋は新進気鋭の日本画家。将来を嘱望されていたが、34歳の時、悪性腫瘍で画家の命ともいえる利き腕の右手を失ってしまう。1973年のことだ。しかし、描くことへの情熱が、左手一本での奇跡の復活を実現させた。
だが、非情にも病は三橋の体を蝕んでいく。
残された時間が少なくなる中で、三橋は愛する子どもたちのために、筆をとったのであった。
しかし、本書の原画を完成させることなく、三橋は天に召される。三橋の意志を受け、夫の鈴木は残された場面を描きあげ、作品はついに完成する。
病との壮絶な闘いの中で、生み出された作品だからこそ、力強さと哀しさが交差する趣を醸し出しているのであろうか。
そしてタッチのちがう絵が混在する作品なのに、違和感がないのは、夫と先立った妻との愛あふれる「協同制作」だからにほかならない。
解説の中で、梅原はいう。「一人の平凡なおとなしい女性であった彼女をして、このような奇蹟を起こさせたのは何でしょうか。それは愛の力であると思います」
この作品の中で息づく作者の愛は、残されたおさな子に生きる勇気を与え、そして私たち読者一人ひとりに優しさを教えてくれるのではないだろうか。
刊行後30年も読み継がれ、そして昨年(2008年)10年ぶりに復刻の運びとなったことは、読者にとって喜ばしいことだ。
本書を子どもに読み聞かせをする際、作品が生まれた背景や作者の生きざまを解説してから実施するのがよいのではないだろうか。