谷川健一(87歳)は、独学・晩学のひとである。学会に所属しない。博士号はもちろん、修士号ももっていない。大学で民俗学を学んだこともない。平凡社に勤務し、雑誌「太陽」の創刊編集長を務めた。30歳のころ、はじめて柳田國男の『桃太郎の誕生』を手にとり、日本の庶民の創造性に目が開かれた。途中、結核で2年ちかく入院生活。一念発起し、退院後は10年間、調査・取材の旅と執筆の日々を重ねていく。
独学は、南方熊楠、柳田國男、小学校中退の人類学者・鳥居龍蔵、賎民史研究の沖浦和光にも当てはまる。『大日本地名辞書』を著した吉田東吾は、新潟洋学校を13歳で中退する。学歴を問われると「図書館卒です」と自信たっぷりに答えたという。
大きな独自の思想・学問の体系を組み上げる棟梁には、学閥や師匠は必要ないのかもしれない。
民俗学は、妙にくせになる。なんでもない日常茶飯が、時に深い意味をもって立ち上がってくるからだ。
たとえば、一つ目小僧。水木しげるの漫画でおなじみですね。これは実在する。原型は、たたら製鉄の民。和鉄をつくるとき、炉の小さな穴から始終、砂鉄と木炭の溶け具合を見て、原料や空気の供給量を調節しないといけない。長年、この仕事を続けると、熱でやられ、隻眼となる。こうした人びとは、洋鉄が日本に入ってくる明治中期まで、中国山地を中心にいくらでもいた。彼らは、金属器が貴重だった古墳時代から先端技術者・熟練工として聖視もされ、これが一つ目小僧の伝承につながっていく。
座敷わらしも便所神も、空想の産物ではない。みな民衆の暮らしのなかから生まれたものなのだ。
さらに例をあげよう。青のつく地名は、葬送に関係がある。青墓(岐阜県)、青木(福島県)、各地の青島、この青島がなまった大島などは葬送の地であった。ちかくに、もっと大きい島があるのに「大島」と呼ばれる島は、かつて「青島」であったことが多い。沖縄には本島、属島をふくめ6箇所ほど奥武(おうの)島がある。いずれも海蝕洞窟が口をあけ、以前はここに死者を置いた。つまり、風葬の地であった。奥武は青の転訛と考えられる。縄文・古墳時代から、日本人の生死観では、青=死の世界であったわけだ。まったくの偶然だが、東京の青山に一大霊園があるのは、実に理と情にかなっていることになる。
ひとつ、わたくしごとを許していただきたい。和賀の姓は、秋田・岩手に多い。岩手県には和賀郡がある。日本人の姓の9割は地名に由来する。熊野・新宮の生まれ育ちだが、祖先は東北にゆかりがあると思ってはいた。谷川さんに初めてお目にかかったとき、開口一番、「和賀はアイヌ語のワッカでしょう。ふたつの川が合流する場所をアイヌはワッカと呼んだ。北海道の稚内も同じですよ」と。たしかに、和賀川と北上川が出合うところに和賀の地はある。和賀郡のみなさん、ご存知でしたか。
谷川さんは民俗学を「神と人間と自然の交渉の学」と規定する。わたくし流にいうならば、先人の日常の営みを解析する学問だ。
年神を迎える正月、死者と再会する盆をはじめとして、わたくしたちが日ごろ、さりげなく続けている習俗、年中行事のなかに、列島人の記憶や心理の謎を解く鍵が隠されている。
著者はいう。「民俗学の愉楽とは、名もなき人びとの営みを知ることを通じて、<小さき者>の哀歓に共鳴することである」と。豪奢な社殿に祀られている大きな神もいいが、路傍の<小さき神>は、もっといいぞとも。
マルクス主義でも実存主義でもない、かつての皇国史観に見られる麁枝(そし)大葉の日本ではなく、毛細血管に似た微細な網目のような日本を知りたいと半世紀前、谷川健一は強く思った。
白鳥信仰、産土(うぶすな)の再発見、マレビト論、地名研究と地名保存運動、沖縄と日本の交渉史・・・。戦後の日本民俗学の巨人である著者の仕事は、多岐にわたる。
本書の愉快なのは、大江修が編者となっていることだろう。二部構成。第一部は谷川さんへの大江のインタビュー。第二部は自伝抄「海やまのあいだ」、論考「沖縄と地名と」からなる。
大江は昭和30年生まれ。在野の研究者で、仙台在住の会社員。谷川さんの偉業が正当に評価されていないのは、大きな損失と考えていた。東北芸工大教授の赤坂憲雄に相談するうちに、「谷川民俗学の全貌をあきらかにする本を出そう」と話が発展した。
大江は、浩瀚な谷川民俗学をわがものとし、小気味よく抑制の効いた質問を繰り出す。世にあふれる対談集には、時宜に便乗した安易なつくりのものが多い。失望することがままある。しかし、本書は、その例外だろう。冗漫な会話がなく、なれあいなく、緊密で濃縮された時間がひろがる。そして、谷川さんの大業の輪郭を明示することに成功している。
愛読者が、師と仰ぐ人間の本をつくる。この原動力は、どこから来るのだろうか。いい学問は、人の胸に灯をともす。学問は机上で終わることなく、社会的な動きとして立ち上がる。本当の学問とは、そういうものだろう。そして、思い至るのだ。この独学者は、本人の意思と関係なく、稀代のオルガナイザーであるということを。