74年生まれのジョー・メノは、シカゴを拠点に活躍している作家である。セント・マーティンズという名門出版社で華々しいデビューを飾ったが、人気が出たのはインディ出版社から出した三作目の『Hairstyles of The Damned』からで、シカゴのサバービアを舞台にしたこの自伝的青春小説はインディの作品としては異例のヒット作となり、以降、メノはインディ作家のスタンスを貫いている。『少年探偵、しくじる』と名づけられたこの物語は、ジョー・メノの三作目の長編小説に当たる。
主人公、ビリー・アーゴは十歳の誕生日に、両親から「探偵キット」をプレゼントに貰う。それ以来、彼の推理能力はとどまることを知らず、助手である妹のキャロラインとふとっちょの親友フェントンと共に、ビリーは街の難事件を次々と解決していく。設定で分かる通り、『少年探偵、しくじる』はアンソニー・リードの「ベイカー少年探偵団」等を彷彿とさせる、ジュヴナイル・ミステリーのパロディである。文体も少年少女向けに作られており、暗号ゲームやクイズなど、子どもの本に付き物のおまけも豊富だ。ただ、変わっているのは、他のジュヴナイル・ミステリーの少年探偵や少女探偵たちが永遠の子ども時代を生きるのに対して、ビリー・アーゴの方は否応なしに大人になっていくところである。
ビリーが大学に進学して街を離れた後、悲劇が起こる。妹のキャロラインが自殺したのだ。「この世に解決出来ない謎などない」と信じるビリーは、この不条理な死を認めず、妹の死に責任を負うべき犯人がいるものと思い込む。そして彼女の心理を理解しようと行動を追うあまり自らも自殺未遂を起こし、精神病院に送られて薬漬けの日々の中に埋没してゆく。街が病院の助成金を打ち切ったせいで、病院を放り出されたビリーは三十歳になっている。大人になることなく、年をとってしまった少年探偵は妹の死の謎を解くことを誓い、街に戻ってくる。
大人になるきっかけを失った青年は、どのようにして生きていけばいいのだろうか? 全ての謎が解けたあの夢のような日々は二度と取り戻せないのだろうか? そんな事を問いかける『少年探偵、しくじる』は、エモ・ノワールとでも名づけたいような、独特のナイーヴな雰囲気に溢れている。少年探偵は大人の服を持っていないので、少年探偵時代のユニフォームを着ている。ちょうど、かつて天才少年探偵、金田一一(はじめ)を演じた堂本剛が、ドラマ「33分探偵」で丈の短いつんつるてんのパンツを履いて「元天才少年探偵」らしきピント外れの探偵、鞍馬六郎を演じたように。リハビリ施設に入所し、生活のために付け髭の電話セールスのバイトを始めた三十代の少年探偵ビリーは、いじめられっこの天才姉弟との出逢いをきっかけにもう一度探偵業に復帰することになる。といっても、『少年探偵の失敗』は本格推理小説ではない。この小説に出てくる全ての事件はおとぎ話であり、浮遊感溢れるセンチメンタルなファンタジーになっている。
少年時代の幻影を追うビリーにも、大人になる時が訪れる。他の人よりも遅かった分、決定的な痛みを伴って。最後、おとぎ話を生きてきた少年探偵は、本物の事件に遭遇する。白黒つけられない厳しい現実、人の心の闇、圧倒的な暴力に触れてビリーは泣く。思春期の謎は解け、悲しい天才少年は、幸せを求める凡庸な青年へと成長するのだ。
大人になることの痛みを描いた、この大人になりきれない人々のためのジュヴナイルを、ジョー・メノはベル&セバスチャン、カクテルズ、ウィルコ、ビートルズを聞きながら書いたという。今時のナイーヴな青年作家らしい。小説が終わる寸前には、こんな著者の言葉が挟み込まれている。
「読者のみなさんが、この最後の章を、誰かと手をつないで読んでいてくれたらいいのですが。もし、そうでなかったら、今から誰かに手をつないでもらって読み直して下さい。その人の名前をこのページのどこかに書いて、名前のまわりをぐるりとハートの形で囲みましょう。素敵でしょう? そしたら、きっと楽しめるはずです」