必ずしも音楽が主人公というわけではないが、ささやかな小道具として、あるいは時代を彩るサウンドトラックとして、音楽が聞こえてくる小説というのは無数に存在する。60年代のアメリカを起点とした青春群像劇とでもいうべきこの『世界のすべての7月』も、そんな作品のひとつだ。願いの感情が込められた邦題も見事だが、“July,July”というシンプルな原タイトルもなかなか詩的ではないかと思う。学園闘争があり、公民権運動があり、そしてベトナム戦争があった60年代。本書はそんな激しい時代をやり過ごした世代による年代記であり、69年度に大学を卒業したかつての同志たちが、同窓会のため2000年の7月に再会を果たす場面から始まる。
「戦争は終わり、情熱は意味のない観念論と化していた。バンドはバッファロー・スプリングフィールドの古い曲をスローに、内容空疎に編曲して演奏していた。すべての人々の中に、今ここにある可能性によって流動的なものにされた、ノスタルジアの感覚があった。」
序盤に置かれたこんな記述ひとつ取っても、流れ去っていった30年という歳月や時代の変化というものを仄めかすには十分だろう。具体的な曲名こそ記されていないものの、当時のロック・ファンであればバッファロー・スプリングフィールドのこの曲がロスアンジェルスのワッツ暴動を題材にした『フォー・ホワット・イッツ・ウァース』ではないだろうかと想像を広げ、元々はこのバンドの出身者であるニール・ヤングが、今日もなお精力的な活動を続けていることに改めて感じ入るかもしれない。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『エブリディ・ピープル』や、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバルの『バッド・ムーン・ライジング』が絶妙な状況設定で挿入される部分もあるのだか、他にも例えばこんな描写はどうだろう。
「なにしろザ・モンキーズとともに発進した世代なのよ。行く先なんて知れてるじゃない。『僕はばっちり信じているんだ。彼女からばっちり離れないぞ(I’m a believer , I couldn’t leave her)』なんてね。赤面しちゃうじゃない。つまりさ、最初から間違えた一歩を踏み出したわけよ。あんまりにもナイーブで泣きたくなっちゃうわね。『クラークスビル行きの最終電車』、ベイビー、私たちみんなしっかりそれに乗り込んじゃったんだ。」
60年代のポップス・ファンであれば、誰もがここであの無邪気なモンキーズの『アイム・ア・ビリーヴァー』と『恋の最終列車』のことを思い起こすに違いない。こうした曲の何とも甘酸っぱい響きには、様々な物事がまだ今日ほど迷宮に彷徨い込んでいない時代のハピネスが感じ取れる。
もし60年代が若さと勇気そして理想主義に満たされた時代だったとしたら、この小説はそうした“幸せな汽車”に乗り込んでしまった男女幾人かによるほろ苦い後日談であり、挫折や失意を伴った告白や回想であろう。仲間の一人はヴェトナム戦争に行き片脚を失い、今も悪夢にうなされている。仲間の一人は徴兵を逃れてカナダへと亡命するが、一緒に逃亡するはずだった恋人に裏切られたことが忘れられない傷となっている。仲間の一人は経営者となりビジネスを成功させるものの、満たされない思いを抱え続けている。離婚や不実を当たり前のようにくぐり抜けてきた者も少なくない。