この本を手にするのはもう、何度目だろうか。野崎孝氏訳の新潮文庫で六、七回は読んだだろう。この古い文庫本の書名は『華麗なるギャツビー』となっていて、その昔、ロバート・レッドフォード、ミア・ファーロー主演で映画になり、その邦題が「華麗なる…」だったせいで、書名もそれに合わせたのだろう。二年ほど前に、「ギャツビー」をこの人に訳してほしいと願い続けてきた、村上春樹氏によって翻訳され、これも幾度となく耽読した。
『グレート・ギャツビー』がアメリカで刊行されたのは一九二五年、第一次世界大戦が終わり、戦場となった旧世界(ヨーロッパ)が戦後復興でもがき続ける中、アメリカはいち早く戦後不況を越えて、バブル景気の甘露を味わっていた、まさにそのただ中だった。そう狂躁の二十年代、ジャズエイジといわれる時代である。スコット・フィッツジェラルドが作家として産声を上げ、その代表作のほとんどを書き上げたのは、この熱に浮かれた躁状態の時代だった。『グレート・ギャツビー』はそんな時代の気分をこの上なく上質なドラマとして描き出した小説として、アメリカ文学史に刻印され、八十年たったいまでもその輝きは衰えることなく、読み継がれている。
中西部の貧しい農家に生まれた男が、数奇な運命をたどり、ついには大富豪へと成り上がっていく。かつて貧しかったがゆえに、結ばれることがかなわなかった美しい女デイジーの愛を取り戻そうと、その男ジェイ・ギャツビーは汚れた仕事に手を染めながら、成功への階段を駆け上がってきたのである。彼はデイジーと資産家の夫トム・ブキャナンの邸宅の、狭い海峡を挟んだ対岸に居を構え、夜な夜な壮麗なパーティを催す。いつかデイジーが気づきやってきてくれるのではないかという、淡い期待を抱きながら。そして、ついにその日がやってくる。僕=ニック・キャラウェイの導きによって、二人は再会する。愛人のいるトムとの暮らしに冷えきった心を抱えていたデイジーは、ギャツビーとふたたび恋に落ちる。だが、そんな日々も長くは続かない。ギャツビーはトムの前で、デイジーに、自分をとるかトムをとるかと迫る。デイジーにはそれを決めることができない。ギャツビーが唯一の夢は、こうして崩壊する。しかし、悲劇はまだ始まったばかりだった…。
実らなかった恋を、富を手に入れることで取り戻そうとする男の滑稽なまでの純情が胸を打つ。女の愛を取り戻すために汚れた仕事に手を染めることもいとわず、夜ごとパーティでどんちゃん騒ぎを繰り返しては、彼女に気づいてもらおうとする幼さの持つ喜劇性、幸福と成功のメルクマールが唯一、富であることの儚さ、その富を持ってしても愛を手に入れることのできない悲劇性はわれわれの内部で深く哀切にこだまする。しかし、それがフィッツジェラルドの人生そのものだった。
フィッツジェラルドという作家は実人生という地下水脈なしには、一行も書き進められないタイプの作家だった。彼は小説を書こうとするたびに、井戸を掘り、地下水を汲みだし、作品に注いでいった。『グレート・ギャツビー』もその例外ではない。デイジーはあまりにも有名なスコットの妻ゼルダをモデルにしていることは明らかだし、スコット自身はギャツビーと僕=ニック・キャラウェイに投影させながら、そのキャラクターを自在に操り、自らの心性を語り、帰りこぬものを懐かしむようにセンチメンタルにこのドラマを謳い上げている。「ギャツビー」の執筆期間に起きた出来事も作品に影を落としていることはよく知られている。
一九二四年四月、「ギャツビー」を完成させるためにスコットとゼルダは南仏リヴィエラに渡る。小説に集中するスコットを尻目に、退屈しきったゼルダはついにフランス海軍航空士官と不倫騒動を引き起こす。ゼルダは小説中のデイジー同様、お嬢様育ちで誰かにチヤホヤされていないと生きていけない女だった。担当編集者であるマックスウェル・パーキンズに宛てた手紙(『フィッツジェラルドの手紙』荒地出版社・1982年刊/絶版)の中にも、執筆に集中したいスコットを仕事から引き離そうとするゼルダ、仕事に集中できないことをゼルダのせいにする自分に嫌悪する彼自身の様子が描かれている。パーキンズはスコットに、ゼルダと別れることを進言するが、スコットにはその気がない。彼の両親はアイリッシュ系のカソリック教徒で、スコットはそうした影響から離婚には否定的だったこともあるが、それ以上に、スコットとゼルダはまるで双子のように、互いの存在に依存しながらも、嫌悪し、それゆえに苦しみ、しかし分かち難く結ばれていた。その関係の軋みが生み出すさまざまな出来事がスコットに作品を生み出す霊感を与えていたのだ。