今、この文章を書いている私の目の前には、『亜愛一郎の狼狽』、『亜愛一郎の転倒』、『亜愛一郎の逃亡』という、三冊の創元推理文庫が並んでいる。
断言しよう。この三冊は、古今東西最高の本格ミステリの一つであり、発想の強烈なツイストという点で、これ以上の作品は存在しない。辛うじて勝負になる作家がいるとすれば、それは英国の巨匠G・K・チェスタトンただ一人であろう。
と、レビューとしては体をなさない、ただこれ絶賛、という調子で始めてみたが、実際問題として、トリックそのものの切れ味、ロジックの厳密性、犯人の意外性などで、さらなる成果を収めた作家・作品は他にも存在する。しかし、珍奇な発想を本格ミステリにおいて効果的に使用することにかけて、このシリーズは確実に史上最高の水準にある。同じ方向性で、同レベルの鮮やかな作品が見られるのは、恐らく、泡坂妻夫自身のノン・シリーズ短編集『煙の殺意』(創元推理文庫)のみであろう。
一冊目の『狼狽』の巻頭に配されたシリーズ第一作「DL2号機事件」から、その特徴と水準の高さは明らかだ。最近大地震で大打撃を蒙った地方都市で、旅客機《DL2号機》の爆破が予告されるが実行には至らなかった、という事件が起きる。この事件、実はあるとんでもない発想にもとづいており、動機設定がかなりぶっ飛んでいる。こんな真相を用意してしまったら、普通は、しっかりした本格ミステリにしようなどと思わないだろう。ところが泡坂妻夫は、凄まじく綿密に伏線を張り巡らすのである。そしてそれらのヒントが一気に回収される解明シーンを読むと、「ホラホラ、さっきから真相は散々鼻先を通っていたじゃないか」とほくそ笑む作者の顔が見える思いがします。
この作品は、ある登場人物の行動に一貫性があったことに気付けば、真相看破は難しくない……はずなんだが、実際には、その人物の思考回路がシュール過ぎて、勘付くことは非常に難しい。しかしそれでも、探偵役に指摘されるとなるほどと納得させられてしまう。発想のラディカルさ、それと裏腹の細かい伏線配置が相乗効果を生み、「そんな馬鹿な」と思っている読者をもねじ伏せる力を生んでいるわけなのです。破壊力と繊細な手並みを併せ持つ、完成度の極めて高い本格ミステリといえよう。
この「DL2号機事件」は、泡坂妻夫のデビュー作でもある。今は亡き雑誌《幻影城》が主催した、第一回幻影城新人賞の佳作を受賞して、この稀代の作家は世に出た。
……ちょっと待て。佳作?
当時の選考委員は、権田萬治・都筑道夫・中井英夫・中島河太郎・横溝正史(五十音順)である。大変な豪華な顔ぶれだが、彼らはいずれも「DL2号機事件」に苦言を呈している。奇妙な論理にはどの委員も興味を示しているものの、どうもこの作品はバランスが悪く、不自然な小説だと受け止められたようなのである。
「作品としてはどうも構成上分裂している」(権田萬治)、「全体的にはバランスがとれていない」(都筑道夫)、「加害者が実際に(ネタばらし回避のため省略)筈はないという、誰が見ても明らかなことを泥絵まがいに行わせる」(中井英夫)、「奇抜なアイデアをリアルに扱っているので、結末ががたがた」(中島河太郎)など、かなり手厳しい。
「DL2号機事件」は、本格ミステリ、つまり理屈で割りきることができる作品であった。問題はこの「理屈で割りきれる」という概念である。本格ミステリ愛好者であっても、油断するとこの「理屈」が単なる「自分の知識・常識」にすり替わってしまうことがあるのだ。いかに異形の論理であっても、整合性がとれているなら高く評価される、というのが本格ミステリの本来のあり得べき評価機軸だろう。しかしこれを誰もがいつも守れているとは限らない。当時の選考委員五氏は、「DL2号機事件」のあまりに奇妙な論理に驚くあまり、自分の常識に逃げ込んでしまったのではないだろうか。