メジャーなものは、いっさい拒絶する層が、日本社会には確とある。同調圧力には無縁。多数派に与しない得がたい人びとだ。
また、価値体系の紊乱者は、おおよそ迫害・排斥される運命にある。
ところが、ここに唯ひとつ、かれらに歓迎され、受容された例外が存在する。メジャーなのに「つまらない」とか「いりません」とか批評されたことがない。それは「イエス・キリストより人気がある」(1966年8月11日。シカゴでのジョン)と言い放った超弩級のロックバンド――ザ・ビートルズ。
〔世界で一番知られ、成功したミュージシャン〕は、1960年代半ばに日本上陸。ある年代以上には「忘れたくても覚えられない」(赤塚不二夫のギャグ)のが、当時はミニスカートのツイッギーに、ショーン・コネリーの『007』と、ビートルズ。英国が束になって(何度目かの)世界征服を企てる。怖しくも、しびれる時代であった。
エルヴィス・プレスリーが徴兵され、西ドイツの米陸軍基地で2年間兵役に。軍務の一環で柔道の黒帯をとっているスキを縫うように、ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシスなどの新興アメリカ勢が、日本の音楽番組(もちろんラジオ)の常連に。ただひとりアラン・ドロン『太陽がいっぱい』の主題曲がフランス代表として奮闘。そんなところに突然、躍り出た英国労働者階級の申し子ビートルズ。
現代ポピュラー音楽に変革をもたらすサウンド。奇抜なスタイル(マッシュルームカットは当時、そういう評価でした)。当時の中高学生(いわゆる団塊世代)を中心に、日本の数百万人の若者を、あっという間に魅了した。
彼ら「こだわりの強い」「何にでもヒトコト言いたい」世代も、また純情だった。長髪で不良の一団にコロリとやられて幾星霜・・・。いまでも、音楽遍歴の告白になると、いかに早くから自分がビートルズを認めていたか「先見の明」競争を始めてしまう。メジャーでありながら、「オレだけ・私だけのビートルズ」感も強い。
かくて、ビートルズに関しては、「メジャーなものはつまらない」どころか、「メジャーあたりまえ。ビートルズ大好き」という例外が誕生。連綿と続いている(彼らの音楽が、それだけすばらしかった。いまでもそうだですむことですが…)。
ただ当初、大人たちの間で評判は芳しくなかった。しかし、朝日新聞「声」欄の投書から流れが変わった。女子高生の「どうして大人は、見た目だけでイケナイと言ったりするのでしょうか。彼らの音楽にも、とてもすばらしいものがあります。一度“イエスタデイ”を聴いてみてください」が載ったあたりから様子が一変。
文化人やらインテリが「悪くないじゃないか」と言い出した。時の総理・佐藤栄作が神聖な武道館をロックのコンサート(66年6月30日から7月2日まで。5回の日本公演)に貸すとは何ごとか、と発言。そういう一定の反対はあったものの、そこからは一瀉千里。ビートルズは本国以上に日本国に根をおろし、いつの間にか日本女性オノ・ヨーコまで登場して、我われファンにとっては、もうほとんど身近な友人。ちわーポール、リンゴどうよ?状態に。