この本が出てすぐ、ピンときて、某媒体に書評で取り上げるよう進言したのだが、「うーん、ちょっと」と躊躇されてしまった。その担当者、けっこう年輩の人だったから、「生鮮」さを掴めなかったのかもしれない。
といっても、ぼくだって、大谷能生さんのことは名前を知ってるぐらい。ただ、白いカバーに殴り書きしたようなタイトル文字、帯に掲載された坂本龍一、深沢七郎、ボリス・ヴィアン、色川武大、マルコムX、中上健次、宮沢賢治、レーモン・ルーセル、ポール・ボウルズという固有名詞の並びに、ああこれはと目が留まったのだ。わかっている人の人選でしょう、これは。
文学と音楽の関係を書いた本は、それ自体、珍しいものじゃない。ただ、この本はちょっとそれらとは違うと思えたのだ。あれは、村上龍と坂本龍一の対談集『超進化論EV.cafe』が出た1985年ぐらいのことだったか。二人について、誰かが、まるで村上龍がミュージシャンで、坂本龍一が作家みたいに見える、と書いていた。正確な引用じゃないけどね。たしかに、中上健次、村上龍、村上春樹たちジャズやロックに洗礼を受けた人たちが台頭してくる80年代から、文学と音楽の関係はかなり変わってきたのじゃないか。つまりそれは、小林秀雄が昭和初年に、大阪の道頓堀を歩いているときに、モーツァルトが頭の中で鳴って天啓を受けたという神話的エピソードとは、決定的に違うってことだ。小林秀雄がモーツァルトと衝突したとすれば、ナカガミ、リュウ、ハルキの世代は、音楽をTシャツのように着てしまっている。
ぼくは、大谷さんのこの本が、そんな文学と音楽の新しい受容関係を示すものではないか、とガンをつけたわけだ。そして、それは間違っていなかった。音楽畑の人が文学について語ると、文学に変におもねたり、あるいは音楽というジャンルの底上げに「文学」をためにするような穴に落ち込みがちだが、『持って行く歌、置いてゆく歌』と題されたこの本では、そんな弊を逃れ、両者にきれいなアーチをかけている。
感心したところはたくさんあるけど、たとえば巻頭の「深沢七郎、『楢山』と日劇ミュージックホール」。深沢が小説を書く前、日劇ミュージックホールの舞台に立つ、クラシック・ギターの名手だったことは知られている。しかし、戦中から戦後にかけて、18回も演奏会を開いていたと知らされると、ちょっとイメージが変わる。というのは、日劇ミュージックホールは軽演劇とストリップの大衆娯楽の小屋であるからだ。深沢の腕は思った以上に本格的なものだった。これはぼくの偏見だ。
著者は違う。「日劇」を「戦前からつながる都市部の劇場文化」が、「最後の黄金時代を迎えた」場所として認識する。そして、「ストリップ・ガールたちに囲まれ、スパニッシュ・ダンサーの伴奏仕事をする合間に書かれた『楢山節考』という小説は、当時の最新のエンタテインメントの表舞台から生まれたものであり、しかしそれは、極貧の山村における姥捨てをテーマにした、まったく『高度成長期』的でも、いや『近代的』ですらないものであった、ということである」と、『楢山節考』の新しさが生まれた源泉として、「日劇」を位置づける。
さらに、『楢山節考』のなかで歌われる「楢山まつり」の歌(「楢山節考」)、『東京のプリンセスたち』に登場するロカビリーと若者の関係から、両者を「『音楽と生活とが密接に結びついている人間たちの生』を描いた小説」だと定義づけてみせる。音楽と文学の両方への深い理解からくる、あざやかな批評眼がここに働いている。
語り尽くされて、盗掘の終った遺跡みたいな宮沢賢治を扱っても、著者は、賢治が短い生涯のなかで六回も花巻から東京へ上京していることに注目する。そのとき、モダン都市東京で流れていた音楽は何か。チェロを抱えて上京し、先生について指導を受ける。しかし、ついにチェロは上達しなかった。それはなぜか。これまで書かれた賢治論(と言ったって、全部に目をとおしたわけじゃいがおそらく)とは違ったアプローチで、この一種不気味なユートピア作家の正体に迫ろうとしている。
巻末の文学を中心とした世界史・日本史とメディア史の年表を見ると、石原慎太郎が『太陽の季節』を発表したとき、ソニーがトランジスタ・ラジオを発売している。同様に、大江健三郎『飼育』はテレビの普及、村上龍『限りなく透明に近いブルー』は家庭用VHS、村上春樹『風の歌を聴け』は、ソニーのウォークマンとそれぞれシンクロしていることに気づく。
文学は言葉のみに作られるにあらず。その底で鳴っている音楽をいかに聞き届けるか。大谷能生さんは重要な最初の一歩を踏み出した。これに続く者が新世代から続々と現れることを期待したい。