ミュージシャンを目指しながらアルバイト生活を送る柏原省吾は、恋人の上野美月から突然別れを切り出される。どうやら彼女には、他に好きな男ができたらしい。心が千々に乱れるこの洋介を、さらなる衝撃が襲った。予知能力を持っていると称する女の子すみれが彼の前に現れて、「美月さんが男に殺されてしまうのを見た」などと言い出したのだ。すみれの予言を信じるか、世迷言だと放っておくか。選択を迫られた洋介は、何も手を打たないで万が一美月が死んだら、悔やんでも悔やみきれないと踏ん切りを付け、嫌われることを覚悟して、彼女を守るべく奔走し始める……。
いきなり個人的な嗜好から始めて恐縮だが、私はオカルト趣味にどうも馴染めない。従って、予知と称されるものを信じ込み、いや信じるだけなら勝手だが、傍迷惑を顧みず他人を巻き込んで猪突猛進するタイプの人間を見ると、「電波さんお疲れ様です」もっと平たく言えば「アホか」と思ってしまう。この点、本書の主人公省吾は、私にとっては鬼門または水と油で、予言を信じて振られた女にまとわりつくその様は、ストーカーそのものにしか見えない。
加えて、省吾は美月の新恋人たる青年医師・篠塚浩平に敵意をむき出しにする。この篠塚がすれみに予言された美月を殺す男だと思ったためだが、篠塚は同僚医師・看護士・患者から等しく敬愛されているナイスガイであり、誰もが省吾の言うことを信じない。まあ当たり前ですね。かくして、省吾は失恋の痛みに耐えかねて心が壊れてしまった奴と見られることになる。
本書の前半は以上のような感じで進むため、なかなか乗れない読者が出て来るかも知れない。若干弁護しておくと、省吾自身は純真なキャラクターであり、手ひどく振られたけれどまだ好きな女の命を救うべく、彼女にどう思われるかは度外視して、なりふり構わず頑張っているのは事実だ。
「予言を信じた」という一点を除くと、なかなか健気な奴ではないか。また篠塚を敵視する際には、誰も信じてくれないだろうと、理由が予言であることは明かさない。さらに、篠塚の人柄を知るにつれ、省吾は自分が間違っていたのではと悩み始める。この程度の理性や常識は備えているのである。
どう贔屓目に見ても、省吾は痛々しいし、特に女性は「もし自分が省吾みたいな男に付きまとわれたら」と想像すると鳥肌が立つと思いますが、大目に見てやっていただきたい。少なくとも、省吾が不快だからと途中で本を投げるのはやめて欲しい。というのも、実は『リバース』は、後半に至って話の様相ががらりと変わるからだ。
中盤、事態は一応の解決を見るかに思えるのだが、ここである事件が起きる。その後、話は急激にミステリと化していくのだ。誰が「それ」をやったのか。目的は何なのか。予言は当たったのか外れたのか。これらを省吾は探り始め、その過程で、前半で示される人間関係に隠されていた、登場人物の真の思惑を次々と目の当たりにする。そして彼は最後に、意外な真相を知ることになる。
これら事態の変転は、しかし場当たり的なものでは全くない。前半から伏線が随所に張られており、ミステリとしての作りは極めて堅牢である。思いもよらなかった重いテーマが姿を現すこと、『リバース』というタイトルの意味が理解できることを含めて、本書は「予言を信じたうだつの上がらない男が暴走する話」という当初のイメージからは非常に遠いところに読者を誘ってくれるのだ。
ネタばらしを避けようとすると、例によってこれ以上は詳しく書けないのだが、物語が感動的に終了することは保証できる。
しかし誤解してはならない。これは大半の既読者に同意いただけるものと思うが、北國浩二は『リバース』をめでたしめでたしで終わらせてはいないのだ。この作家は、人間のマイナス面や運命の厳しさから目を逸らさず、むしろそれらを当たり前のこととして受け止めている。主人公・省吾は純真だが先述のように色々と気色悪い。守られるべきヒロイン・美月も、早い段階から、自分のことしか考えない利己的な人間であることが判明する。さらに、どんなに気持ちが漲っていても、悲劇や惨劇は避けようもなく突如人間を襲うことを、本書はその展開でもってはっきり示している。「無理矢理ハッピーエンドにする」「厭な奴を唐突に改心させる」「味方には完璧な善人しかいない」類のご都合主義は、『リバース』には無縁である。幕切れの雰囲気が前向きかつ清廉・爽やかなので看過しそうになるが、本書は相当にシビアな物語なのだ。
思えば、北國浩二のデビュー作の近未来ハードボイルド『ルドルフ・カイヨワの憂鬱』(徳間書店)、肉体が老化する架空の難病を抱えた少女が過ごす切ない夏を描くミステリ第二長篇『夏の魔法』(東京創元社)も同様であった。すなわち、ラストで前向きの姿勢を示して読者を感動させると同時に、現実がときに残酷で非情なことを片時も忘れさせなかったのである。
本書『リバース』は、これまでの北國浩二の作品の中では最も親しみやすく、本格ミステリとしての完成度も一番高い。いつも以上に娯楽小説に徹したと言い換えることだってできるだろう。しかし初志は貫徹されており、装丁から連想される「お手軽な感動的ラブストーリー」というだけでは済まない何かを、ほっこりと心温まる一方で喉に刺さった小骨のような何かを、確かに残す。そして作者の、人間に対する作者の冷徹で怜悧な視線と、だが全てを自分たちのものとして受け止めようとする強い包容力が、本書からは確かに感じられる。広くあまねくおすすめしたい逸品である。