作家・宮内勝典さんが長年住みなれたニューヨークを引き払い、帰国したときの台詞が忘れられない。米国の知識人・有識者層は、日本に期待していたという。なにをか。日本人の知恵である。行き詰った物質至上主義、資本主義を超える新しいテーゼ、世界観が日本から発信されるのではないか。求む、東洋の英知。かつての禅のような瞠目すべき精神文化、価値体系が太平洋の向こう岸から、きっともたらされるにちがいない。われわれが思いもつかない次の時代を切り拓くモデルを提示してくれるだろう。そう彼らは信じていた。
しかし、待てど、暮らせど、一向にそんな風は吹いてこない。日本はどうなっているのだ。宮内さんは、祖国が気になって帰国を決意した。
以来、10余年―。日本は清新な精神性どころか、小泉政権下、ご存知のように市場主義経済に過度に傾斜。規制を緩和。社会保障費を削減。富める人は富み、中産階級はやせ細り、貧しい人びとはますます貧しくなった。おそらく、いま、欧米人は日本に精神面のリノベーションに関して、ほとんど何も期待していないのではないか。
そこにブータンの登場である。GNH(グロス・ナショナル・ハピネス。国民総幸福)という方針・理念・信条に、がつんときた方も多いだろう。
それまで、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)は、骨の髄まで叩き込まれてきた。これらの数値こそがわが国の誇りであり、拠って立つべきところだ。そう思いこんで走ってきた。4代国王が提唱したGNHに、われわれは、がくんともきた。ゴールは、べつにもあったのだ。
ブータンとは――。ヒマラヤ山脈南麓に百年前から続く王国。人口63万。国民の97%が「幸せ」と感じている国。
では、どのように「国民の幸せ」を政策化しているのか。
まず第一に、近代化を急がない。世界標準のやり方は、幸せに不向きと考えている。たとえば、地下資源の採掘は極力控えている。電気は最大の輸出品目だが、巨大なダムはつくらない。
伝統文化を守る。一例を挙げるとファッション。公の場では男は日本の着物にそっくりな民族衣装のゴ、女はキラの着用が義務付けられている。
なぜ、文化なのか。文化は国民の尊厳の源だからだ。アイデンティティの母といってもいい。ブータンのような小国が生き抜くためには、アイデンティティの保持が最重要だとかれらは考える。インドと中国にはさまれ、国力も軍事力も経済力もないブータンを守ってくれるのは、独自の文化しかない。隣国のシッキム王国がネパール人の流入によって、独自の文化が失われ、インドに併合された歴史を間近に見てきた。
文化には人をさえぎる「壁」もある。文明は、大きな「乗り物」だろう。多様な人びとに共有できる利便性を提供し、普遍性に富む。図書館、電気や水道と同類といっていい。あれば、すこぶるいいものだ。しかし、文化は違う。彼我の差異が文化なのだ。強固な文化は、他者の介入・容喙・嗜好を許さない。ある特定の人びとには快適な「繭」=コクーンだろう。薄味のウドン(上方の食文化)になれた関西人は、醤油味の真っ黒い東京のウドン(関東の食文化)を認めない。文化とは、そういう檻=防御壁の役目も果たしている。
ブータンはアメリカなどの大国とは付き合わない。発端は東西冷戦。米ソ両陣営にかかわらないほうが賢明と考えた。西ヨーロッパの小国、スイス、オランダ、オーストリア、デンマークなどをパートナーに選ぶ。冷戦終了後、アメリカから支援の声がかかったが断った。
政府財源の半分を海外諸国、国際機関からの援助が占める。しかし、道路、水力発電所、送電線など国土開発の援助が中心。インフラ整備であり、貧困救済のための援助ではない。しかも、過度に依存することには用心している。
観光客は無制限に受け入れない。多額のお金を落とす外国の登山隊も断っている。農民がポーターに狩り出され、国の基である農業がおろそかになる。そういう農民の声を政府は汲み取った。
しかし国際性は十分。小学校1年から英語の授業があり、学校教育を受けた人はぺらぺら。
ホームレスはいない。教育、医療は無料。土地がない人には国王がプレゼント。
でも、バラ色ばかりではない。離婚が珍しくない。一夫多妻制が認められている。こうした影の部分もきちんと見据えているから、この本『幸福王国ブータンの知恵』全体への安心感、信頼感も生まれる。