昭和三十年代初頭生まれの我々は、まさしくSFエイジであった。
「鉄腕アトム」「鉄人28号」「8マン」を始めとする、おびただしいマンガとアニメ。少年雑誌のグラビアには宇宙の話や未来都市の予想図で埋められていたし、月にロケットが着陸するは、科学文明の粋を結集した大阪万博が始まるはで、未来は直視できないほどまぶしく、輝かしいものだった。
それに、七〇年代の角川文庫には、星新一、小松左京、筒井康隆、豊田有恒、眉村卓といった日本SFの武者たちが轡を並べ、SF戦国時代に突入した観があった。しかしその頃、私はガチガチの純文学信奉者だったため、筒井康隆以外は素通りしてしまった。だから現代SFの事情もその後のことも何も知らない。
そんな底の浅いSF理解を浅間の彼方まで吹き飛ばす程の力技を見せてくれたのが、長山靖生の『日本SF精神史』だ。なにしろ、先に私が触れた現代日本SFの黄金期について、この本が叙述するのはようやく最終章になってから。それ以前に日本のSFなどあったのかと、訝る者には腰を抜かす話だが、著者は日本SFの誕生をペリー来航後の幕末の動乱期に置く。そこから明治期の古典SFの世界が六章にわたり、分析と紹介がされるのだ。
その日本最初のSFとは、儒学者・巌垣月洲が安政四年(安政とSFという結合が楽しい)に書いたとされる『西征快心編』。日本をモデルにした極東の島国で、アジア侵略を企てるイギリスを成敗すべく、憂国の武士たち八千名が西征の旅に出るというストーリー。しかも全文が漢文だ。
何も宇宙船やロボットが出てきたり、タイムスリップするストーリーだけがSFではない。こうした架空の戦記や歴史改変テーマの小説が、明治以降におびただしい数で書かれてきたのだ。
出て来る書名も著者名もほとんど知らないものばかり。教室で教わるような日本文学の正史の跡づけは容易いが、この場合は発掘も調査も困難を極めると予想される。しかし著者はそれを虫捕りする子どもみたいに嬉々としてやっている。著者は歯科医をする傍ら、ほとんど毎月のように書き下ろしの新刊を世に出して、怠け者の同業者(私のこと)を呆れさせているが、本領はここにあるのではないか。
また『雪中梅』を書いた末広鉄腸の政治小説をSFと位置づける手際も鮮やかで、自由民権運動を背景とした理想の「あるべき日本」を描こうとすると、たしかにそれは未来小説、つまりSFと限りなく近づく。
著者の見るところ、明治期には「『文学』と『政治』という二者択一が、そもそもはじめから存在していない」。「政治」と「文学」は分ちがたく結びつき「文筆は技巧ではなく、思想はまた行動と一体だったのだ。そうした彼らが描いた『未来』を、われわれはもっと真剣に受け止めるべきだろう」と書く。本書が『日本SF史』ではなく『精神』がそこに挟まっている理由がこれでよくわかる。
それでも現実的には、日本SFは長らく正当な評価がされないままに来た。第八章で「戦後SFはしばしば直木賞の候補に挙げられながら、遂に受賞に至らなかったこともまたよく知られている」と書く通りである。
「人間が描けていない」がSF排撃の決まり文句で、これに怒った筒井康隆が芥川直木賞の内幕をパロディで攻撃した『大いなる助走』を書いたのは有名。しかし、驚くべきことだが、著者によれば、賞の名に冠された直木自身が「ロボットとベッドの重量」始め、数々の科学小説を書いている、というのだ。SFが広げた風呂敷が大き過ぎて、狭量な文学観しか持たない者には捉え切れないというべきか。
日本の戦後SF雑誌の嚆矢となった「宇宙塵」同人の柴野拓美は「人間理性の産物が人間理性を離れて自走することを意識した文学」をSFと定義した。これに続けて著者はこう言う。
「日本SFは、その草創期から、多様な可能性と多様な目標を内包していたのである」
この多様な想像力が充分に働かない未来とは、どうも生きにくい世の中としか思えないのである。