先日、バルガス=リョサがノーベル文学賞を受賞したと発表された。
だから何だ、というわけでもないが、ものかきとしての自分に平手打ち、あるいは往復ビンタをかましたくなったときに読み返す本、というのが私にはあって、そのうちの一冊がこの『若い小説家に宛てた手紙』である。
ノーベル賞という看板はえらいもので、それまではアマゾンで、まあ数万位くらいの底を這うような売れ行きだった『緑の家』(岩波文庫)が、受賞後いきなり三ケタ台の順位に上がってきたところを見ると、「ノーベル賞を取った小説家ならいちおう読んでおくか」という層がこの世にある程度いるのは間違いないらしい。
しかし、正直いってリョサの小説は軽い気持ちで読み通せるほど素直なものではない。けれども何か読んでみたい、という人に、とりあえず、この本はお薦めである。
まず、読みやすい。リョサが、小説家志望(であろうと思われる)の若者が送ってきた手紙に書いた返事、往復書簡、という形を取っているので、いわゆる書簡体であり、話し言葉で書かれているので、比較的楽に読み進めることができる。
そして、小説家の頭の中というのがどういうものか、というのが、ちょっとばかりチラ見できる。昔は文学青年だった、あるいは、今も文学中年または老年である、という人には、ことに興味深いに違いない。なにしろ、ノーベル文学賞作家の頭の中である。興味を持つな、というほうが無理ではないか。
むろん全体はエッセイのようなものであるから、複雑なストーリーや、溢れるカタカナ名前の人物の右往左往に悩まされて放り出してしまう気づかいもない。ちょっとばかりノーベル文学賞に触れてみたい、という人には、まず失敗のない選択といえよう。
しかしもっとも勧めたいのは、本のタイトルどおり、『若い小説家』、あるいは、これから作家になろうと考えている人たちである。ものかきとしての自分に活を入れたくなったとき、私はこれを読む。あるいは河野多惠子『小説の秘密をめぐる十二章』(文藝春秋)を読む(こちらのほうが劇薬度が高い)。
『若い小説家に宛てた手紙』は、書簡体でリョサが自分の小説の書き方、考え方、小説の組み立て方などを記した本である。
そういう意味では、「君にも小説が書ける!」式の、「小説の書き方ノウハウ本」のように見えるかもしれない。実際、リョサはこの本の中でフィクションの説得力や文体、語り手と空間の問題、現実のレヴェル等、カルチャースクールの小説講座の講義録に出てきそうな表題を挙げ、それらについてさまざまな例を出して語っている。
しかし、最終章である第十二章「追伸風に」で、リョサはそれまで語ってきたすべてに冷や水をぶっかける。
(以下引用)
技巧、形式、論述、テキスト、──(中略)何とでも好きに呼んでいいもの、それらは分割することのできない一個の全体なのです。にもかかわらず、テーマや文体、秩序、視点などに分類して考えるというのは生体を解剖するのと何ら変わることがありません。それがうまくいった場合でも、結局のところ小説を殺すことにほかならないのです。
(中略)成功したフィクション、あるいは詩の中には、理性的な批評的分析ではどうしてもとらえることのできない要素、もしくは広がりがあります。
(中略)ですから、他人に創作法を教えることなどできません。できるのはせいぜい文章の書き方や本の読み方を教えるくらいのことです。
(引用終わり)
私は何年か小説の専門学校の講師を務めたことがあり、現在もときどき講師役を引き受けるが、リョサの言葉の示すところを、毎回痛感する。
これは自分に関しても同様である。「お話」は小手先で作れても、「小説」は小手先では創れない。そこには必ず、理性以上の何かがこもる。締め切りや売れ行きや、何より自分自身の力に対する疑いによって、ものを書く目先が曇らされそうになったとき、頼りない自分の横っ面をひっぱたくために、この本を私は折にふれ読み返す。
また、仮にも小説家を志す人々は、皆この機会にぜひ読んでおくべきだと思う。
ノーベル文学賞受賞作家の本だから、という意味ではない。ただここに、『小説を書くもの』としての心構えのひとつが、きわめて明確に記された書があるから、というだけにすぎない。『小説の秘密をめぐる十二章』とあわせ、二読三読、四読五読とされるべき、希有なる書物である。