『エレンディラ』の妙味は星新一の『きまぐれロボット』と対極にある。後者は風呂場で半身浴でもしながらつまむのに適しているが、前者は食前に胃と血圧の薬を用意する必要がある。『エレンディラ』についていえば、どこを食べてもうまい『百年の孤独』という鯨から、本当に美味しい部位だけを切り取ってコース料理にしたような味だ。ボリュームはそれほどでもないが、残さず食べられるし、食べ終わる頃には悲哀で胃がすくみ上がってもう入らない。
老いぼれた天使が庭先に落ちてきて捕らえられ、鶏小屋で見せ物にされる話。バラの香りとともに現れたアメリカ人が、村の若者と一緒に海底へ食べ物を探しに行く話。浜辺に打ち上げられたあまりにも美しい水死人を迎え入れ、「よそ者の葬儀としてはこれ以上ないほど立派な葬式」を執り行う村の話。情欲と南京錠の罠にかかった上院議員の話。「塔の二十倍も高く、村の九十七倍の長さ」がある幽霊船の話。行商人に拾われて拷問にかけられた結果、その行商人と似た不思議な能力を持つにいたった少年の話。無情な祖母によって数え切れないほどの男の相手をさせられる少女の話。
ざっと見渡すと、荒唐無稽という一語に尽きる。どれも現実味がないし、食えそうにない。しかし手に取って舌に乗せてみると、溶け出すリアリティは非常に濃厚だ。ガルシア=マルケス作品にいつもついて回る「マジック・リアリズム」という言葉は、「魔術的な」という形容詞こそ付随しているが、「リアリズム」の一端であることに違いはない。そして『エレンディラ』の放つ魔力には、奇妙な現実味がある。
荒唐無稽さと現実味は、意図的に配置されている。「失われた時の海」のある箇所を見てみよう。登場人物たちは深海へ食べ物を探しに行き、海底で岩のように眠っている海亀を捕まえて家に帰る。捌いてみると心臓が飛び出してぴょんぴょん跳ねてゆき、捕まえるのに三人がかりで追いかける。たらふく食べたあと、一人がこう言う。「いいかね、トビーアス、われわれは現実をしっかり見据えなければならないんだよ」。
魔法のように荒唐無稽なことをやっておいて、現実的になれと諭す滑稽さは、荒唐無稽なものを創っているという自覚がなければ生まれない。荒唐無稽さをそのままうっちゃっておくのではなく、現実に追いかけさせることによって、ストーリーを魅力的なものにし、なおかつリアリティを保証しているのだ。だからこそ、「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」では、少女を抱く順番を待つ男たちの列の、荒唐無稽なほど途方もない長さが、そしてベッドに犬用の鎖で縛り付けられた少女の、現実味のある苦しみが、読者の胃をすくみ上がらせる。
「この世で最も美しい水死人」は、先に説明した手法を用いて、「美しさ」を強調している。物語の始まりに、まずは荒唐無稽なもの、水死体が浜辺に流れ着く。子供たちが面白がって、埋めたりして遊んでいる。そこを通りがかった大人が仰天し、あわてて村へ運んでくる。人々は水死体のあまりの美しさに胸を打たれる。その体躯は途方もなく大きく、体つきは逞しい。本来なら放っておくはずのよそ者を、村を挙げて弔う。女達はみな涙するし、男達もしぶしぶながら彼を認める。彼らは、水死体の生前の名はエステーバンに違いないと考える。海へと去ってゆく彼がいつでも帰ってこられるように、村の家や家具は、彼の身体の大きさに合わせて作り直されるだろう。もう彼は座った椅子を壊して恥をかくことはなくなるだろう。
この世で最も美しい水死体、という荒唐無稽なモチーフに、村の人々という現実味のあるモチーフが加わって、絶妙な調和を成している。人々は水死体に名前をつけ、生前の彼の様子を想像して涙ぐむ。物語が終わる頃には、その水死体は人々にとって「かけがえのない大切なもの」になっている。荒唐無稽なものが現実に取り込まれ、現実の一部として機能しはじめる。あるいは現実に一部変更すら加える。村の人々は、村をよりよいものにしようと働きはじめる……。このことからわれわれが学べるのは、現実という属性を得た荒唐無稽さは、われわれに驚きを与えるということだ。
思い出の中に生きるエステーバンが、二度と戸框で頭をぶつけたりしないでどこでも好きなところに出入りできるように、家の戸は大きな戸につけかえ、天井を高くし、床はがっしりとした造りにしよう。〔…〕エステーバンの思い出をいつまでも大切にするために、家の戸には明るいペンキを塗り、額に汗して岩を削って井戸を掘り、絶壁に花の種を蒔くことにしよう。花が咲けば、概要を航行する豪華客船の客船はむせかえるようなジャスミンの香りにおどろいて目を覚ますだろう。
この奇抜なラテンアメリカの名物料理が気に入ったなら、鯨をまるごと一匹食い尽くしたいという大食漢は『百年の孤独』へ、おなじ食材を使った懐石を食べてみたいという方は『予告された殺人の記録』へ、それぞれ足を向けてみてほしい。そのさいは、くれぐれも胃薬を忘れないよう。
(ボルヘス『伝奇集』のときも似たようなことを言っていた気がする……。)