仕掛けのある小説を書いてきた、中島京子。
デビュー作『FUTON』は田山花袋『布団』を下敷きに、妻の視点で世界を捉えなおしたものだったし、つづく『イトウの恋』は、明治初期に日本を旅したイザベラ・バードから着想されたものだった。コンスタントに作品を発表している作家であるため、そうとばかりは言えないが、現代と過去といった、ふたつ以上の場所や時代をコンバインさせながら、ひとつの大きな物語を構築させるのを得意とする小説家であることはまちがいない。
そんな彼女の新刊もまた、古い小説をうまくリサイクルしている。
まず「女中≒メイド」という図式を抽出。大正から昭和初期に活躍した林芙美子、吉屋信子、永井荷風の三人の小説家がものしてきた“女中小説”を元ネタに、現代の秋葉原の“メイドカフェ”に出没する「オスミばあさん」が、戦前戦後の奉公人生活を問わず語りに語るという三つの中篇を構成。それらは連作的に結びつき、「オスミばあさん」の数奇な人生が読者にも見えてくるという格好だ。
奉公人話といっても、「チャングム」や古くは「おしん」のように、主人公を泣きながら応援したり、自己犠牲が報われるさまに感動したりという、わかりやすい物語はそこにはない。作品の元になっているのが、なにしろ荷風や林芙美子なのだから、それも当然だろう。
奔放で天衣無縫なお嬢様にふり回されてエロティックな体験をしたり、変人の作家のご主人の目を盗んでは自己実現のために邁進したり、はたまた女中生活以前のカフェの給仕人生活では、だらしないヒモ男=情人をあやつって一人の女を破滅に追い込んだり……と、なかなかにダークな人間の業と欲があざやかに描き出されていくのが、本書なのだ。
しかし、そのダークさのなかに、ユーモアがある。人のこころをぎゅっと掴む魅力がある。
それは書き手の品のよさやクレバーさゆえのことだろう。あるいは、三人の過去の小説家たちへの「トリビュート」と称するだけはある、敬意のあらわしかたなのか。
ともあれ、この知的な作品にはやられました。
たんなる分量の問題から言っても、読者としての欲望から言っても、もう一、二篇つづいてくれればよかったのに!と思わせるほどなので、その点をあえてマイナスに、☆☆☆☆で。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |