裁判員制度導入について、興味深い世論調査がある。
毎日新聞社が今年の1月に実施したアンケート(http://mainichi.jp/select/jiken/saibanin/archive/news/2009/01/20090128ddm001040009000c.html)では、〈市民が死刑判決にかかわることに63%の人が「反対」と回答し、「賛成」は28%にとどまった〉とあるが、livedoorが2008年の4月に実施したアンケート(http://news.livedoor.com/article/detail/3597155/)では、〈あなたは、裁判員に選ばれたら死刑判決を下せますか?〉との問いに対し、〈68%の人が死刑判決を下せる、32%の人が下せないという回答をよせ〉ていた。
合わせて読むと、自分自身は死刑判決も視野に入るような重大事件に関与したくないが、その立場になれば死刑判決も下すだろうと考えている人が多い、ということになる。
この両極端な反応は何だろうか。livedoorのアンケートは制度そのものがスタートする1年以上前の調査ということもあり、死刑判決の重さを実感できなかった。が、どうやら本当に裁判員制度が始まるのだとわかったら現実感が出てきて怖くなったとも読めるが、それにしても。
そんな死刑制度をめぐる是非を見直す上で、絶好のテキストが本書だ。ノンフィクションライターの藤井誠二氏と、映像と文筆の世界で活躍するドキュメンタリー作家の森達也氏の対談本。藤井氏は死刑存置派、森氏は死刑廃止派であり、対立する立場から、死刑制度の持つ意味を論じていくのである。
本書によれば、4年前に内閣府が行った世論調査では、存置派が81・5%、廃止派は6%と、圧倒的に存置派なのだという。2009年の現時点では世界のほぼ2/3の国で死刑は廃止されており、存置国でも世論は五分五分や六対四と拮抗を続けている。そんな中で、「日本の8割以上が存置に賛成」という結果をどう見るか。藤井、森の両氏は、「といっても、存置か廃止かで揺れ動く領域はあるだろう」とエクスキューズしつつも、厳罰化が叫ばれる社会風潮の中でどこまで感情的にならずに考えることができるか、と、読者に再考を求めてくるのである。
本書には、そのための材料はたっぷり用意されている。多くの国民は死刑制度があることは知っているのに、処刑方法や確定死刑囚がどこにいるかもわからないほどその実相を知らないし、知らされてもいないこと。殺人事件の認知件数は、2007年に戦後最低を記録したいもかかわらず、国民の体感治安は悪化していること。「凶悪犯罪が頻発している」と報じるマスメディアが世論に大きく影響していること。日本には死刑と無期懲役刑の「間」を埋める刑がないために、極端な量刑になりやすいこと。死刑には犯罪抑止力がないことがほぼ証明されていること。いくつあるのかというくらい、私たちが目を背けている論点がある。
また、「死刑になりたかった」と動機を語る犯罪者に対し、死刑執行することに何の意味があるのかという疑問も重い。
藤井、森の両氏はどちらも多くの犯罪被害者や加害者、あるいは関係者と直接対話した上で自らの主義主張を構築しているので、双方に説得力がある。存置派の評者は、被害者遺族の百人百様の思いを知れば知るほど、死刑廃止とは結びつけられないという藤井氏の理にやや分があるように読んでしまうが、それでも森氏の〈僕が提起したい問題は、遺族が応報感情を持つことではなく、その応報感情の表層を社会が簡単に共有することです〉という持論には大きくうなずいてしまう。
立場的には真っ向から対立しているはずなのに、しばしばふたりは同調する。それだけ存置と廃止の境界は分かちがたいものなのだろう。ただ両氏とも、死刑制度に対して世の中が思考停止したまま進むことを何より怖れている。その思いは強く伝わってくる。
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