作者のマルセル・F・ラントームはフランスの作家で、戦後間もなく本格ミステリを数冊発表したが、まったく評判にならなかったので未発表作品をまとめて燃やしてしまったようだ。『騙し絵』はラントームの第二長篇にして、ラントーム自身の本邦初紹介となる作品だが、その出来は英米の黄金期本格ミステリに劣るものではなく、原稿焼却が実に勿体なく思えてしまう。
往時は栄華を極めたが、最近商売が左前になって来たプイヤンジュ家の令嬢アリーヌは、1939年、発明家アルデーブルと結婚することになった。その式の日、アリーヌが亡き祖父から贈られた、253カラットのダイヤモンド《ケープタウンの星》が、プイヤンジュ邸で特別にお披露目されることになった。このダイヤを守るため、プイヤンジュ家の当主にしてアリーヌの父のいとこサルヴァトール=ヴィクトール・プイヤンジュは、世界六カ国(日本含む)の保険会社に、各国から1名ずつ警官を派遣するよう要請した。かくして結婚式当日、世界六カ国からやって来た警官たちがダイヤモンドを見守ることになったのだが、厳重な警備が為されていたにもかかわらず、ダイヤがいつの間にか偽物にすり替えられていたことが判明する。やがて更なる椿事が発生して……。
フランス・ミステリというと、瀟洒なサスペンスのイメージが強く、ガチガチの本格ミステリは稀なイメージがある。ポール・アルテはそのイメージを若干変更してくれたが、アルテは作品の舞台をイギリスに設定しており、フランスのことはあまり書いてくれない。またトリックやロジック、推理を非常にすっきり書くのでアクが弱いという特徴があって、こってりとした本格ミステリを読みたい場合にはちょっと物足りなかった。
だが状況は、今回のラントーム登場で一気に変わったものと思う。
『騙し絵』は、気持ちが良いぐらいコテコテの本格ミステリなのだ。ダイヤモンドの来歴も、アリーヌの周辺の怪しげな人間関係やら三角関係やらも、ダイヤがすり替えられるまでの宴の描かれ方も、わざわざ警備役を各国から呼び寄せる無駄さも、その後に矢継ぎ早に起きる様々な事件(文庫で300ページちょっとしかない作品であることも念頭に置くべき)も、名探偵とワトソン役が満を持して颯爽と登場するのも、本格ミステリ特有のケレン味に溢れている。
肝心の伏線、トリック(真相)、ロジックも非常に派手なものだ。特にトリックは「実現可能性がかなり低い」ものではあるが、逆にこの無理なところがたまらなく愛おしい。スマートさは全くないが、このゴツゴツした手触りの本格ミステリは、好きな人には堪らない魅力に満ちているはずだ。私もこの「色香」にやられた口です。
面白いのは、1939年5月の事件なのに、迫り来る第二次世界大戦の影(大戦勃発は1939年9月)を軽く無視して始まることである。作者がこの歴史的事実を忘れているわけではないことは、1938年のミュンヘン会談とそれに伴うナチスによるズデーテン併合と思われる出来事を「国際的な事件」としてチラリと触れてから物語を始め、その後、その出来事を除けば作中の事件が一番人々の話題に上ったと記していることから、明らかである。この書き方は一応戦争を「無視」している格好になっているが、それでもわざわざ仄めかす辺り、本当は意識していることを如実に示している。
それもそのはず、ラントームは1940年から42年まで戦争捕虜としてドイツの収容所に送られているうえ、その後脱走して終戦までレジスタンス活動をおこなっていたのである。作中の事件とはまったくの無関係ながら、ここには「人間」ラントームがはっきりと刻印されている。
とはいえこれは、読者側が積極的に汲み取らなければ気付けない事項だ。普通に読んでいたら、本書は現実社会に一顧だにせずトリックとロジックに遊ぶ、ガチガチの本格ミステリ以外の何物にも見えないはずである。だがそれはそれで問題なかろう。浮世離れ上等、本格ミステリかくあるべし!
もっとも、この手の作品は下手に同時代(原書出版は1947年)に紹介されると、「あの惨禍を無視するなんて」と、感情的な非難に晒されてしまったかも知れない。戦後60年以上経って初訳されたのは、作品にとって僥倖であったとの見方もありそうだ。
最後に採点です。トリックのムリムリ感は個人的に大好きだけれど、さすがに満点はあげるなと理性が止めたので、☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |