一九七七年に死んだはずのエルヴィス・プレスリーが実は老人ホームで生きていて、施設の中を夜な夜な徘徊するエジプトのミイラ男(なぜか老人ホームで復活してしまったのだ)と対決することになる。そんなご機嫌な映画「プレスリーVSミイラ男」をご記憶だろうか。日本では二〇〇六年の年末に公開された。下半身が衰えているため歩行補助器を使わないと前に進めないエルヴィスが人の肛門に吸いついて魂を食おうとするミイラ男と闘う話なのだ。この映画の原作が、ジョー・R・ランズデールの日本独自編纂作品集『ババ・ホ・テップ』の表題作である。
ランズデールは、貧乏白人のハップと直情径行型の黒人レナードのコンビが活躍するコミカルな連作が日本では話題になり、エルモア・レナードやカール・ハイアセンに続くオフ・ビートな犯罪小説の書き手として注目を集めた。ところが、この作家の持ち味はそれだけに留まらない。最初に邦訳された『バットマン サンダーバードの恐怖』(竹書房文庫/絶版)はコミックのスピン・オフ作品で、サンダーバードが車から人型に変形して人間を襲うという飛び道具の発想を使ったアクション小説だし、『モンスター・ドライブイン』(創元推理文庫/絶版)のようなB級テイスト溢れるホラーもある。だが、MWA最優秀長篇賞を受賞した『ボトムズ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などの単発作品では、筆致ががらりと変わり、アメリカ南部の精神風土を背景としたシリアスな物語が展開されているのである。この辺の多様さについては、『ババ・ホ・テップ』訳者の尾之上浩司あとがきに詳しい。
アメリカ小説の大きな源流の一つに、開拓地で語り継がれていたほら話の系譜がある。「ババ・ホ・テップ」はまさしくその延長線上にある小説だ。本書にはそれ以外にも嬉しくなるほどに荒唐無稽なほら話が収録されている。あのゴジラ(野球選手じゃないほう)が人格改造プログラムを受けて人間社会に適応しようとする「ゴジラの十二段階矯正プログラム」など、馬鹿だなあと思いながらも笑ってしまう。だが、そうした陽気な一面が残酷に感じられるときもある。社会が抱えている負の側面、貧困や人種差別といった歪みを、ランズデールはからからに渇いた筆致で描くのだ。これもまた、アメリカ南部小説の一つの伝統だろう。「ステッピン・アウト、一九六八年の夏」は貧乏白人のティーンエイジャーたちの信じられないような愚行を、スラプスティックに描いた喜劇短篇である。ワニが好きな人、必読。また、「草刈り機を持つ男」は、ほら話的展開と歪みの要素が意地悪に結びついた作品で、たいへんに可笑しいのだが嫌な気持ちにもさせられる。
白眉は、一つの町がハリケーンによって壊滅させられた実話に基づく「審判の日」だ。一種の歴史小説でもあるのだが、ランズデールは白人対黒人のボクシングの試合というトピックを効果的に用いて、群像劇の中に緊迫感溢れる対決を盛り込み、複層的な魅力のある作品に仕上げている。後半のカタストロフィの描き方も迫力があっていいのだが、すべてが破壊され尽くした黙示録後の世界のような荒野で、二人のボクサーが対峙する場面が素晴らしい。デヴィッド・リンチとリドリー・スコットが、相次いで映画化の検討に乗り出したというのも頷ける話である。文句なしの☆☆☆☆☆でしょう。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |
〈現代短篇の名手たち〉シリーズについては、ローレンス・ブロック著『やさしい小さな手』の書評も収めていますので、ぜひお楽しみください。
『やさしい小さな手』 レビュワー/福井健太 書評を読む