このページをお読みのみなさま。「架鉄」という言葉をご存知か。評者は最近話題のコミュニケーション・サービス「ツイッター」経由で初めて知ったのだが、架鉄とは架空鉄道の略で、現実には存在しない鉄道路線、たとえば廃線になってしまった路線や、計画段階で倒れてしまった路線などを空想して楽しむ、鉄道ファンの遊びらしい。
本書はその架鉄をフックにした、ミステリー風味のファンタジー小説。しかし、「テツ」じゃなくても、ファンタジーが苦手でも、廃線跡ガイドだの失踪劇だのほの淡い恋だの、楽しめる仕掛けがあれこれ揃っていて、サービス精神満点。そういう意味では、読みやすくてほろ苦く、心を慰撫してくれる物語に飢えている人にプッシュしたい一編である。
物語は、牧村という廃線ファンの青年が、現在から2年ちょっとの過去を回想する語りで進んでいく。しかし、出だしから〈ぼくはあそこへ行き、そして帰ってきた。〉〈旅に出るまえ、あるいは旅にでてからあと、ぼくの周囲でどういう出来事があったのか?〉と書かれており、この物語に何か大きな悲しみが横たわっていることは容易に想像がつく。とはいえ、こんなエンディングが待っていたとは──。
とあるきっかけで廃墟萌えから廃線萌えへ趣味をシフトした牧村は、一昨年の3月下旬、奥多摩にある小河内線を訪ねた。そこで声をかけてきた男性が平間さん。平間さんは歴とした鉄道ファンで、廃線マニアでもあった。同じ吉祥寺住まいの縁もあり、ふたりは窓からJR吉祥寺駅のホームが見渡せる洋風居酒屋〈ぷらっとふぉーむ〉で酒を酌み交わす仲になる。26歳の牧村と63歳の平間さん。並みの親子以上の年齢差はあれど馬は合った。趣味の鉄道をめぐって旅の話や思い出などを、主に平間さんが語り、牧村が耳を傾ける。適切な距離感と親近感が伝わってくる彼らの“大人の友情”が、うらやましいほどだ。
しかし平穏は一年半ほどで尽きる。昨年11月のある晩のこと。めずらしく酔っていた平間さんは牧村に、〈まぼろしの廃線跡〉の話をする。
日本のどこかにまだ誰にも知られていない廃線跡がある。それを探し出し、始発駅から終着駅までたどればある奇跡が起こる、という風聞を。
もちろん牧村も食いついたが、それ以上は聞けなかった。なぜなら、ほどなく平間さんは牧村の前から消えてしまったから。平間さんの失踪には例のまぼろしの廃線が関わっている、と目星をつけた牧村は、平間さんを慕っていた「鉄子」の菜月さんと、少しずつ手がかりをたどり始める。
人探し、廃線探しのミステリー要素と、牧村が菜月に寄せる淡い思慕という恋愛の要素が両軸となり、後半の物語をぐんぐん走らせていく。だがその燃料となっているのは、牧村や平間さん、菜月さん、そして読者の胸にもときおり去来する、「違った人生もあったかもしれない」という、もうやり直しようのない日々への鎮魂だ。
人の一生はよく鉄道に例えられるが、平間さんもこう語る場面がある。
〈ところどころに乗り換え駅があるけれど、よくよく注意しないと番線や列車をまちがえて、目指しているのとは全くちがう場所へ連れていかれてしまう。わたしは乗り換え駅に着くたびに、乗るべき列車を選び損なっていたような気がしますよ〉
いくつもの分かれ道でそのつどどちらかを選び、いまここに自分はいるけれど、本当にこれでよかったのか。その問いに、一点の曇りもなく「イエス」と答えられる人は多くはないはずだ。だからこそ本書は、もう若くはないと思っている人ほど沁みるのだろう。
欲を言えば評者は、平間さんが誘われた世界も知りたかった。みなまで書くのも無粋ということなのか、そこは意図的にぼかされているわけだが、個人的には作家の想像力を遺憾なくふるってほしかったと、そこだけ少し残念に思う。
それにしても、廃線や廃駅、廃道、廃橋脚など、ひとくちに廃線跡と言っても、その風情を楽しむ場所は、いろいろあるのだなあ(目からウロコ)。
☆☆☆★
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |