大門剛明は、第29回横溝正史ミステリ大賞を『雪冤』(角川書店)で受賞して、2009年5月にデビューした作家だ。この『罪火』は彼の第二作目に当たる。
鳴り物入りで世に出た作家が処女作の次に何を書くかは、若干大げさに言えば、その作家の将来性をはかる一種の試金石となる。大門剛明はこれを見事にクリアし、素晴らしい作品をものしてくれた。
デビュー作『雪冤』は、死刑制度と冤罪にまつわる重いテーマに果敢に切り込んだ意欲作だが、ミステリ要素の切れ味が鈍いという欠点があった。社会派の旗手になり得る真摯な眼差しには好感が持てたものの、終盤の性急な展開ゆえに、ミステリ・テーマ両面で消化不良に終わったうらみがあったのである。しかしこの『罪火』で、作者は長足の進歩を遂げた。
伊勢神宮奉納全国花火大会の夜、少年時代に人を殺してしまった経験を持つ元派遣社員の男・若町忍は、恩師の町村理絵に呼び出される。彼女の刺すような視線と鋭い暗示。そして忍は認める。1年前、自分が理絵の中学2年生の娘・花歩を殺害したことを。
理絵は孤独に生きる忍を心配し、花歩を含む家族ぐるみで彼の世話を焼いてきた。一頃は自分の過去に呪縛され荒んだ生活を送っていた忍も、ここ1年ほどの間に、塾講師という職と恋人・かおりを得て真っ当な暮らしをするようになっていた。その忍が、実は花歩を殺害していたとは……。なぜこんな悲劇が生まれたのか。物語は花歩ありし日に飛び、理絵と忍の対峙に至るまでを描く。
作品は、加害者と被害者遺族が事件の後、殺人にどのように向き合うかを、遠慮会釈なく読者にぶつけて来る。
花歩が殺されるより前、理絵は修復的司法の手法の一つ、VOM(Victim Offender Mediation)運動を推進していた。具体的には、加害者と遺族が直接話し合って、問題の解決(犯罪による侵害や害悪の修復)を図るというものである。むろん遺族は感情的になっているし、加害者が全く反省していない場合もあるため、なかなか上手く行かないし、理絵自身VOMを唯一絶対の解決手法と考えているわけではない。しかしVOM自体や理絵の姿勢を「偽善」と切り捨てるのは早計で、花歩が殺害されるまでに物語中で示される理絵のスタンスは、性善説への過剰な信頼はない、極めて真摯なものである。そこには彼女の高邁な理想と、酷薄な現実を直視する誠実な人柄が表れている。
しかしその理絵が、いざ自分の娘を殺されるや、一転して殺人者への憎悪に駆られそうになるのだ。しかもそれが従前の持論と矛盾していることは自覚しており、余計に苦しい。この展開は、修復的司法の問題点(ことによると限界)を容赦なく燻り出す、残酷なものといえよう。しかし理絵は、憎しみの炎に身を任せない。警察が出した結論(=忍以外の人物を容疑者として逮捕)に疑問を抱いて、忍こそが真犯人ではないかと思い悩む。そう、「思い悩む」である。彼女は復讐をしたいわけではなく、ただ娘の死の真相が知りたい一心で忍の身辺を調べ始めるのだ。そして次第に、元教え子の忍に疑いを抱き始める。
この理絵のエピソードと並行して、加害者の忍の荒れた生活と、次第に他人を素直に受け容れる心を手に入れて「いい奴」に変貌していく様が、克明に描かれる。特に後者は、花歩を殺して以降に生じた変化なので、とても遣る瀬無い気持ちにさせられる。少年時代に殺してしまった相手の遺族を――荒んでいた頃は、理絵に提案されても行かなかったのに――自発的に訪ね、受け容れられないながらも真摯な態度で謝罪を口にする辺り、忍が本当の意味で「更生」しているのは明らかだ。花歩を殺してしまったことも、彼なりに懊悩し後悔する。だが恋人かおりのことを考えると、とてもではないが自首できない。彼は密かに、花歩事件の真相を墓場まで持って行こうとするのだ。
作者は両者を単純に善悪で区分しない。そればかりか、どこにでもいる、弱さと強さを併せ持つ普通の人間として描いている。この事実が、ストーリーの深刻さと人間の複雑性をより一層際立たせている。作品の中心テーマの処理は、十全に成功していると見ていいだろう。
というわけで、鼻歌交じりに読むわけにはいかない。その点で『罪火』は『雪冤』の路線を受け継いでいる。しかし一方で、水準の高い「推理小説」としての顔も有しているところが、本書の凄いところである。
例によって詳細は語れないが、『罪火』には細かいところに、ミステリ的な仕掛けが施されている。これが実に見事に読者をミスリードしてくれる。終盤でそれが判明した時は思わず膝を打った。なるほどそうなるのか。仕掛け方も非常に巧妙で、その存在に事前に気付く人は少数派だろうと思う。うーん、参りました。
その副作用として、ラストで真相が明かされるとちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、「テーマをはぐらかされた」気配が漂うが、まあさすがにこれはないものねだり。ミステリにおける意外性とは、畢竟、それまでの作品イメージを終盤でひっくり返すことに他ならない。この点、『罪火』は作品が重い要素を孕んでいることを勘案して、作品の性格の逆転を最小限度に抑えている。むしろ、ミステリ的意匠を施しておいてよくぞこの程度で切り抜けたと賞賛されるべきだろう。ここも高く評価して、献上する星は☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |