素直に言ってB級臭のするカバー絵だが、中身は非常に真面目です。先ほど紹介した『高慢と偏見とゾンビ』が極上のB級小説だったのと対照的ですらある。くれぐれもカバーだけで判断しないように。
ベルリンは、普仏戦争のプロイセン勝利を受けたドイツ帝国成立後、連邦国家としてのドイツの首都となった。以降、この街は歴史に翻弄されてきた。特に20世紀はその傾向が強かった。第一次世界大戦敗戦による革命と帝政崩壊、ワイマール共和制の栄光と失敗、ナチス台頭、さらに第二次世界大戦敗戦による物理的破壊を経て、ベルリン封鎖や「ベルリンの壁」敷設とその崩壊をもって、東西冷戦やその終焉の象徴となるなど、世界史の主要舞台であり続けた。そして今、ベルリンは統一ドイツの首都として、ヨーロッパ随一の国際都市としての顔を見せている。
『占領都市ベルリン、生贄たちも夢を見る』はそのベルリンを舞台にした小説である。ただし時代は1945年のドイツ敗戦直後、連合国の占領下真っ最中に設定されている。アメリカ軍の担当地域で、金髪美女の連続殺人事件が発生し、これに片足が義足のドイツ人刑事と、アメリカ人の少佐が協力して犯人を追うという内容である。
ストーリーと捜査の足取りは非常にストレートで、サスペンスフルな場面も用意されており、伏線もしっかりしたものが用意されている。従って知的遊戯としてのミステリとして「だけ」読んでも十分に満足できるだろう。しかし本書最大の読みどころは「ドイツ人たちの様子」そのものある。
当時ベルリンは、米ソ英仏により四分割統治されていたが、ベルリンの壁はまだなかったし、それどころか西側諸国が管轄している西ベルリンも封鎖されておらず、誰もが市内を自由に行き来できていた。言うまでもなく、ドイツに関してナチスと第二次世界大戦は語られる機会は多い。またベルリン封鎖・ベルリンの壁建造以後のベルリンもまたよく語られるのだが、そこに挟まれた「自由に行き来できていた頃の、連合国占領下のベルリン」が詳述される機会は少ない。その点で『占領都市ベルリン』は非常に貴重である。そこで彼らは、敗戦国の国民として――強圧的なナチス政権が倒れた後、新たな「支配者」としてやって来た連合国を皮肉に見ながら――たくましく生きる姿がしっかり描かれている。
このことをさらに強調しているのが、被害者の女性たちが自分の人生を振り返るパートである。彼女たちはいずれも三十歳以上であり、ほぼ全員が、ナチスが政権を奪取する1933年以降の十数年間を振り返る。この間、彼女らはいずれも酷い目に遭っている。そしてナチスが崩壊、戦争も終わってやっと一息……というところで、犯人に絞殺されてしまう。
本書は二段組600ページ弱の大著だが、実に60%ほどが、この被害者自身の物語で構成されている。つまり六割は「ナチスと大戦」の話であり、残る四割が「占領下」の話なのだ。被害者たちのエピソードは、ナチスの粗暴と戦争の悲惨を伝えてやまないが、注目したいのは、全員が政治に特に興味がなかった点である。ナチスと彼らが起こした戦争は、政治に興味がない人々をも否応なく巻き込み、人生に深刻な影響を与えた。歴史や国家による民衆の翻弄の何たるかを、本書はまざまざと見せつけてくれるのである。
史実ではこの後、西側諸国とソ連は対立を深め、遂にドイツは東西に分割されてしまう。ベルリンも同様であり、西ベルリンは東側によって建設された壁に囲まれ、自由な往来は不可能になってしまった。いわゆるベルリンの壁である。壁の崩壊と国家の再統一には、40年以上待たねばならなかった。ベルリン市民の、そしてドイツ国民の受難はまだ続くのである。そう考えると、犯人が捕まって物語が一応のハッピーエンドを迎えても、遣る瀬無い気分は消え残る。
作者のピエール・フライは1930年、ベルリン生まれ。本書の事件で重要な鍵を握る《アンクル・トムの小屋》の周辺で成長し、16歳で短篇小説を発表するなどした後、フリーの記者として活躍したらしい。現在は南フランス在住らしいが、本書のエピソード――特に、ドイツ人刑事の息子のそれ――には当時の思い出がいっぱい詰まっているように見える。実体験者ならではの視線を感じ取ることができるのも、本書の強みであろう。
事件と被害者の人生を通して、ドイツ人にとってのナチス、そして第二次世界大戦を真摯に振り返る、読み応えたっぷりの大作である。評価はもちろん☆☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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