駅南口商店街のとば口にあったコンビニが何かの理由で店をたたみ、その後内装工事が入ったので何ができるのだろうと思っていたら、ユニクロと並んで「デフレ勝ち組」としてよく持ち上げられる某中華料理チェーンの新店舗が開店した。
実はそれと分かる前に、私はどんな店がオープンするか家人と賭けをしていて、家人は「ケータイ屋」だと言い、私は「貴金属買い取り業者」だと予想した。なぜかというと、ここ3年以内で、その二つ以外のものが周りにできたためしはないからだ。予想しながら二人で「テンション下がるねえ」とため息をついていた。
それだけに若干、新鮮な驚きではあったのだが、オープン当日に入店待ちの長い行列が発生したのを見て、仰天を通り越してすっかり気持ちが冷めてしまった。ミシュラン三ツ星の味が気軽に楽しめる姉妹店とか言うなら話は分かる。餃子の王将なんか(あ、言っちゃった)目の前の駅から電車に乗り、数駅も行けば別の店舗があるのだ。何も珍しくない。「ここらへんの人間は、ほかにすることがないのか」と悪態をついてしまった。
人生とは、かくも退屈なものなのか。そんな思いを抱いて、私はいつもの散歩がてら商店街の中ほどにあるH書店に入った。相変わらず、品ぞろえにエッジを欠く。『1Q84』を平積み台の中央に置いてさえおけば本屋の体裁が整うと、ここの主は思っているらしい。仕方なく私はそばにあった2010年の運勢本を手に取った。気の迷いには違いない。ある占い方法によると私は「九紫火星」というグループに入るらしく、性格的に「陽気、活発で行動力がある」という。全然当たっていない。が、もしかしたら私の知らない性格が私の中に眠っているのかもしれない。そう考えると少しは楽しくなくもない。どうせケータイ屋だと思ってあきらめていたところに、中華料理屋ができる程度の意外性はある。
数十年も生きてくると、自分に飽きる。それは人間としての成長が鈍化した(止まったとまでは言わないが)証しであり、だから一丁趣味でも持とうか、という話になる。さもなければ子どもとディズニーランドに出かけて疲労困憊したり(ディズニーランドが常に込んでいるのは、人が人の集まるところに行こうとするからだ=記号としてのレジャー)、ユニクロで先月買ったのと色だけが違うフリースをまた買ったりして、心のひまをつぶす。
しかし、この不況である。金がない。そこで視線が再び自分に向かっていく。とはいえ自分探しをしに旅人になる余裕はない。占いがはやる理由は結局、そういうことではないか。大抵の占いは誕生日を基本データとして使う。金はなくとも、誕生日なら誰にでもある。ミシュラン三ツ星の店には門前払いされても、占い本には必ず「自分のこと」が書いてある。血液型占いも同じだ。年収は100倍も違うけど、あなたと私は同じ「A型」。世界は一家、人類はみな兄弟。調べたわけではないが、景況と占いブームにはきっと相関があるはずだ。
もっと言えば、最近よく見かける「国家かくあるべし」「女性はこうでなくては」という品格本も似たようなものだろう。身にまとっていたものがどんどんはぎ取られて、自信とか誇りといった自分を大事に思うための根拠を、国籍とか性別とか、自ら選んだものではないあらかじめ与えられた「型」に求めざるをえなくなったということだ。品格というより貧困と言ったほうがいい。もっともH書店で運勢本を30分も立ち読みしてしまった私にそこまで言う資格はもちろんないのである。
ところが最近、私は私自身について、かなり驚かされることがあった。それは夢の中で起きた。夢だから前後の脈絡がはっきりしないが、気づくと私はライフルを携え、誰か位の高い人物の警護をしながら人が大勢集まっているホールのようなところに入っていった。私は兵士だった。私は他の兵士と一緒にその位の高い人物を背にして仁王立ちになると、ライフルの銃口を斜め45度上に向けて左右に振り、人々を威嚇した。私はそのとき、体を縦に貫いて立ち上ってくる快感を覚えた。
私は目を覚まして、恥じた。銃は男根の象徴だというから、心に潜む性的な衝動が夢を見させたのかもしれない。が、ちょっと違う。もっと直接に、軍靴軍服を着け銃を振り回す自分がとても誇らしかった。そういう非常に生き生きとした感覚があった。何のことはない、それは私が日ごろ軽蔑してやまない、権力や暴力をかさに着て自分を大きく見せるひきょうな臆病者そのものではないか。
私は日ごろから信条を「反戦平和」だと言い切ってためらわないが、どうもそれは怪しい。心の底には「力」に対する迎合、もっと言えばあこがれがあるようだ。反戦平和を唱えるのは、単に自分の弱さの裏返しなのではないか。私は弱さを克服する練習を一度もしたことがない。いじめに便乗してクラスメートを(5番目くらいに)たたいたことはあるが、いじめるのはよせと声を上げたことはない。もし私が帝国陸軍の兵士であったなら、中国人捕虜を(5番目くらいに)刺突し、女性を(5番目くらいに)強姦しただろう。
戦争とは人間を最も単純な型に押し込める営みだ。血液型のAとBが、九紫火星と八白土星が区別されるように、私は「日本人」という型をあてがわれ、個人的に何の恨みもない外国人と殺し合わねばならない。私は山陰の生まれだから、先祖を何世代かたどると、間違いなく朝鮮半島や大陸のルーツに突き当たると思うのだが、そういうDNAのモザイク模様は無視されて、ただ一色に塗り込められてしまう。