世はゴールデンウィークの真っ只中。むろん、そのような恣意的な休日制度とは何の関係もなく働いている人も多いことでしょうし、また逆に、不況ゆえの16連休という、ちょっとしたヴァカンス並みの長期休養をポンとあてがわれた人も少なくないようです。ま、どちらにせよ、あくせくしたってしょうがないし、読書するにはなかなかいい時期ではないでしょうか。
行楽気分というかブランクというか、黄金週間が終了すると、ほどなくあの、「裁判員制度」がやってきます。5月21日スタートですから、もう目の前です。最近、「定額給付金」だとか「地デジ」だとか、どうしてそういうものが導入されたりスタートしたりするのかがよくわからないままに進んでいるものが散見されますが、「裁判員制度」もそうです。しかしこれは、そのシビアさにおいて「定額給付金」や「地デジ」の比ではない。なにしろ、法律の素人が人を裁くという制度ですから。
で、新書あたりを中心に、このところ「裁判もの」とでも言ったらいいでしょうか、いろいろ本が出ているわけですが、創元推理文庫から開高健の『片隅の迷路』が出ました。創元推理文庫のあのカスタードクリーム色の背に、開高健、のスミ文字が乗っかっているのもなにやら不思議な気がしますが、それとて小沼丹の『黒いハンカチ』が出たときの驚きを100とすると、45といった感じで、しかしうーむ、開高が創元推理文庫かあ、時代が変わったのだなぁ、という気がするのは、単に自分が中年になったからでしょうか。
特に「復刊」と銘打っているわけではありませんが、1962年に毎日新聞社から刊行、その後70年代に角川文庫に入り、全集にも収録されている作品で、このタイミングでの新たな文庫発刊ですから、これは「復刊」として捉えていきたいと思います。1953年に発生した「徳島ラジオ商殺し」という、実在の冤罪事件をモデルにした長編小説です。
【この町のいちばん大きな土木工事は橋である。海のせまくなったところに巨大な鉄のつり橋をかけるのである。大都市との交通をよくし、資本と工場を誘致して県の産業をふるい起そうという案である。市長たちは東京へでかけて予算会議で格闘をやり、お金をふんだくってくると、礎石の工事にとりかかった。ここまでは珍しく進取的に見えたが、礎石の除幕式のときに市長が挨拶をして一つの悩みを告白したというのである。橋をかけるのはいいけれど、橋をかけたら、大阪や神戸あたりのビート小僧たちがそれをつたってオートバイでとんでくるのじゃないか。オートバイでとんできて、そして、この町の娘たちにちょっかいをだしたり、さらっていったりするのじゃあるまいか。ドカドカと。土足で。これが防護はひとえに県民各位の御協力をまつよりほかない次第であります。真剣な顔をしてそういった、ということである。
その気になれば一日に十五時間ぐらい眠れそうな町である。】
小説の冒頭近く、舞台となる地方都市の素描です。特定はしていませんが、「橋」「大阪や神戸あたりの」ということから、おおよそ四国のどこかの県ということはわかると思います。戦争の傷も癒えてきて、しかしまだ、池田内閣による「所得倍増計画」や高度成長は始まっていない時代。復興から成長へとカーヴを描きたい意志と、同時にただようそこはかとない倦怠感。ここには、小説家・開高の中に、微妙にルポライターが混入しているように思えます。
『片隅の迷路』は、「徳島ラジオ商殺し」(近年では「徳島ラジオ商殺人事件」と呼ばれることが一般的なようですが、当時の空気を尊重してこの名称にします)を忠実になぞった小説といって差し支えないと思います。
十一月の早朝、農機具店の主人が、何者かによって刺殺されます。その内縁の妻は、押し入ってきた何者かの犯行だと証言したものの、捜査は難航し、店員2名らの供述から、この妻による狂言だとして、妻が逮捕・起訴されます。しかし、犯人とされたこの妻は無実を訴え続ける。控訴、上告ともに棄却され、実刑判決が確定しますが、その後、店員が「供述は検事に強要されたものであり、偽証である」と申し出るという展開になります。再審請求は第5次にまでおよび、ついに再審開始。やがて無罪判決という逆転の結果が出ますが、時すでに被告が亡くなった後でした。