あと五年後には新聞はどうなっているかとか、アマゾンが日本でもガンガン売りたいと思っているKindleは果たしてどれくらい普及するのかとか、ツイッター、とうとう周りでやってないのオレだけになっちゃったとか、瞬きする間に変わってしまう今日のメディア状況は、その上に乗っかってビジネスしたい人にとっても、さていったいこの先、楽しいのか地獄なのか、いささか不安だというのが、本当のところではないでしょうか。
だとすればいま、案外人々は、「そこそこ、変わらないもの」を拠り所にしたいと願っているのではないか。それはなにも、「やっぱり紙の本が一番だ」とか、「新聞の持つ一覧性が、WEBのそれを上回っている」といった、旧メディア側に肩入れするということではなくて――そもそも大衆は、新しモノ好きで、移り気なもの――変わっていくなら変わっていくで、まあ、なるべくゆっくり、ボチボチ行きたいね、と、いうことではないかと思うのです。
【仲居さんが現われ、鍋のガスの火をつけて御飯を静かに入れてかきまぜる。
「まあ、雪が降ってまっせ、寒(さぶ)い思たら」
と仲居さんはいい、しん子はいそいで窓ガラスの外を見る。鍋の雑炊はふつふつといい匂いを立てて煮(た)きあがり、仲居さんは卵をその上にかきまぜて火を止め、
「寒いよって、このおみいで暖(ぬく)まっとくなはれ」
と、障子を閉めて出た。おみい、というのは雑炊の大阪弁である。静かに蒸らすあいだ、たのしい期待がたかまる。これはあまり蒸らしすぎては飯粒がかたくなる。】
――「当世てっちり事情」より――
例えば、こういうの。「なんや、どこがメディアの話やねん」と、馴れない関西弁で自らツッこんでみたのですが、詭弁のようだけれども「メディア」とは「媒体」であって、つまりこの場面なら、てっちりをおいしく食べさせてくれる「仲居さん」がメディアであり(「仲居」なんて名称、いかにも「媒体」です)、いい具合に熱が伝わって行くのだろう「鍋」が「媒体」ということになります。こうした優秀な「媒体」があって、ああ、小説だなあ、と、感じ入る場面ができあがります。
つまり、ツイッターだろうがKindleだろうが、なんのことはない、仲居さんや鍋のようなものだと思えば怖くない。そして、いつでも良い仲居さんや良い土鍋に恵まれるとは限らないのも世の常なのだから、まあ、これも合点承知之助だと(死語?)。
ところでこの場面。仲居さんが「現われ」(仲居さんというのは、いつも音も無く現れる)、火を「付け」、「かきまぜる」。いつのまにか、これまた音も無く(雪は音を消すので、室内で気付かない)雪が「降り」、しん子は外を「見る」。そして、「煮きあがり」「火を止め」「暖まる」。仲居さんは「出て」、期待は「たかまる」。でも、油断したら「かたくなる」。
短いシーンにこれだけの所作が畳み掛けられ、しかしいっこうに気ぜわしい感じがしないのが小説の技です。それどころか、深まる「寒さ」と蒸らすことの「暖かさ」がコントラストになり、静けさと、時間のゆるやかな流れのほうが強く感じられます。
たぶん、こういう場所と時間を、多くの人が求めているし、それはある種の小説を読むことで、現実にそれだけの舞台を用意せずとも、通勤や通学の電車の中で、読者の気持ちの中に、いわば「お裾分け」として注入されるものだと思うのです。
で、紹介が後になりましたが、上に引用したのは、田辺聖子の短編「当世てっちり事情」のおしまいのほうの場面です。「てっちり」という関西特有の料理が、いったいどのくらい非日常的な食べ物で、どんな時に食されるのかは、関東人の自分には想像できないのですが、これは、かつて夫婦だった三十代の男女が、離婚後に町でバッタリ再会し、「てっちりでも食わへんか」という成り行きの末に辿りつく、ゆるやかな時間です。
田辺聖子さんが今、どれくらい読まれているか判然としませんが、人気作家であることは間違いありません。ピンと来なければ、もう四年前になりますが、NHKの朝の連続テレビ小説『芋たこなんきん』の原作者、といえばわかりますよね? あるいは、『ジョゼと虎と魚たち』(いい作品です)という映画がありましたが、あれも、田辺聖子(角川文庫)。
「当世てっちり事情」を含む短編集『鼠の浄土』は、ポプラ文庫から昨年十二月に出た本ですが、ポプラ文庫はずっと連続して「Tanabe Seiko Collection」を刊行し続けています。今回が、数えて七冊目。田辺聖子さんという作家は、とても著作が多く、それも長年に渡っていますから、絶版になったり、読みにくくなっているものも少なくなく、そこでいくつかテーマに沿って再編集を施したのがこのシリーズということになります。ですからこのレビューでは、『鼠の浄土』を「復刊」として考えることにしました。
若い女性の読者にも好評な「Tanabe Seiko Collection」は、2010年4月刊行の第8巻『お手紙下さい(仮題)』にてコレクション完結となる予定です。