編集工房ノア、という出版社をご存知でしょうか。所在地は大阪市で、主に関西圏に居住する(した)詩人や作家の本を多く出しており、他の出版社ではとうてい成立しないような、見事なラインナップを形成している版元です。富士正晴や竹中郁、天野忠、安水稔和、庄野英二に庄野至の兄弟(昨年亡くなった庄野潤三の兄弟でもあります)、山田稔など、京都や大阪、神戸などを本拠地とする、すばらしい書き手たちの本がズラリと並んでいます。
その編集工房ノアから、やはり何冊も本を出している杉山平一という人がいます。詩人として知られていますが、小説も、エッセイも書きます。というより、杉山平一の手によって書かれたものが、果たして詩なのか小説なのかエッセイなのか、そもそもどういうのが詩で、小説で、エッセイなのかと、そんなふうに思考をめぐらせてしまうような、ジャンルとジャンルのあいだをするすると奔りぬける天の川のような、そんなテキストを書いてきた人です。それともう一つ、ジャーナリスティックな仕事はあまり残していませんが、映画という芸術の一形式について深く考察した人としても記憶されることと思います。
で、今回は昨年十一月に編集工房ノアから出た自選の詩文集『巡航船』と、こちらは平成十九年の刊行ですが、詩集『夜學生』をご紹介したいと思います。『巡航船』は、昭和二十七年に刊行され、名著の誉れ高い小説集『ミラボー橋』を中心に編まれており、『夜學生』はさらに昭和十八年まで遡り、杉山平一氏の処女詩集を六十四年ぶりに復活させた本です。この二冊の「復刊」を追ってみましょう。
【「便所の手洗いを止めよう」
と父は言ひだした。
「衛生上それはできません」
「衛生上便所の手洗は何を洗ふのか。汚物でも手に付着するのか」
「不浄へ入つた気持を洗ふのです」
「物理的に洗ふのでなければ、水滴で事足りる」
「日本人の潔癖が洗ふのです」
「ものごとを気分や感情で処理してはならぬ」】
『巡航船』冒頭に収録された、「父」という作品中の会話です。これは元々、わざわざ「小説集」と表記して出版された、昭和二十七年刊行の『ミラボー橋』に収録された作品でした。ですから当然、小説ということになりますが、杉山平一氏の実人生を色濃く反映した作品になっています。杉山氏の父は、電気技術者として工場を経営しており、長男の平一氏も、その事業を手伝っていました。若くして英国留学を果たし、西洋流の合理主義から、工場内の無駄を徹底的に省き、効率化を図ろうとする父と、「人間はそんな単純なものではない」と考える息子の対立です。
『ミラボー橋』は全篇、旧かなで書かれており、時代を感じさせますが、ここでの親子の会話は、従来の日本の小説に描かれた会話とは異質なものではないかと思います。いささか戯画化された感もあり、であるがゆえにかえって実際、杉山親子の会話はまさにこのようなものであったのではないか、と思わせるような生々しさが漂っています。
『巡航船』の帯には、「名篇『ミラボー橋』全篇。自選愛蔵詩文集」とありますが、思えば「詩文集」とは不思議な言葉です。それは「詩と文(散文)」という意味にも取れるし、「詩のような文」とも取れるし、「詩として書かれている文」とも取れます。おそらくそれらすべてのニュアンスをデリケートに横断するのが、杉山平一という人の作品なのだと思います。
ここで、処女詩集『夜學生』を開いてみましょう。冒頭の一篇は、「機械」と題されています。「父」と「機械」こそは、若き日の杉山氏を規定した環境であり、最も身近なモチーフでした。なお平成十九年版『夜學生』は、版元(竹林館)の意向で旧かな・旧漢字が現代表記に改められています。
【 機械
古代の羊飼いが夜空に散乱する星々を
集めて巨大な星座と伝説を組み立てて行
ったように いま分解された百千のねじ
釘と部品が噛み合い組み合わされ 巨大
な機械にまで結晶するのを見るとき 僕
は僕の苛立ち錯乱せる感情の片々が一つ
の希望にまで建築されゆくのを感ずる】
先に会話の特徴について見ましたが、杉山平一氏の文学には、従来、この日本という国の文芸が親しんできた、いわゆる「花鳥風月」が、ほぼ不在です。文字どおり、花も、鳥も、風も、月も、ほとんど現れない。時に詩であり、時に小説であり、時にエッセイであるその「詩文」の多くは人事、すなわち思い出の中の人々を描写することに費やされます。それらの「人々」の中には少なからず自分自身も含まれるので、そうすると書くことは自分自身を深く見つめることにもなり、思惟の言葉は時に、哲学の箴言集めいた表情を見せるようになります。