──(以下、三浦天紗子)『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(講談社)の衝撃がいまだ抜けきらない中でインタビューさせていただくので、やや興奮気味です。周囲の人間にこの小説をどう読んだかと聞くと、実にいろんな答えが返ってきました。
辻村 そうですね。私自身もちょっと驚くくらい、共感なり反発なり、何かを感じてくれたポイントが人によって違うんですよ。
東京と地方との地域格差や、モテるモテないといったモテ格差の「格差小説」と読んでくれた人もいたし、「女子コミュニティーの小説」と読んだ人もいた。「母と娘の問題」がテーマだと読んだ人もいました。ただ、母娘の話だというところまでは同じでも、このラストを、無償の母の愛として捉えた人もいれば、娘は結局は母の支配から逃れられないのだと考えた人もいるんです。「希望」と取るか「呪い」と取るかは、これまでその人が読んだり見たりしてきたものや、歩いてきた人生の道のりが顕著に反映されるのではないかと思います。
── それだけたくさんのテーマを内包した小説だということですね。
辻村 結論の読み方にしても、タイトルの解釈にしても、ここまではっきり受け止め方の違いが表れたのは、私のこれまでの作品にはなかったことです。
── 表題がまた秀逸です。「タイトル大賞2009」というのがあったら、間違いなく1位に推したいタイトルです。
辻村 うれしい、ありがとうございます! 帯文に「──娘は母を殺せるのか?」とあるんですが、これは「娘は母を許せるのか?」と同義だと思います。仮想敵にもいちばんの味方にもなりうる「母という存在」を、自分の中に取り込んでどう解釈できるか。私なりにこの小説を書きながら、女子たちの複雑な思いに触れて、なおかつ「母と娘の関係」をどう表したらいちばんしっくり来るのだろう、と考えに考えて出たのがこのタイトルなんです。結果的には、これ以外にないという題名になったと思います。
これまではいつも、題名を読めばミステリーらしいとか学園モノだろうとか何となく中身が透けて見えて、なおかつ、読めば「なるほど」と思ってもらえるようなネーミングがいいかなあと思い、それに沿う形で考えていたんですね。デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』(講談社文庫)はその典型だし、『太陽の坐る場所』(文藝春秋)はもう少しレトリックが強いけれど、読後には「わかる気もする」と言ってもらえるようなものだし。
私が読んできた好きな小説の中には、タイトルが詩の一節のようだったり、すんなり意味が入ってこなかったりするものも多いんです。最初は表題と中身の関係がよくわからなくても、読んでいるうちに「ああそうか」と腑に落ちるのがいちばんいいタイトルだと憧れていた反面、「こんな奇妙な書名、ずっと覚えていられるかな?」と不安になって、突拍子もない題はなかなかつけられなかった。ですから、タイトルを見ただけでは「???」って思われてもいいと勇気が出た作品は、これが初めてです。
── 最初に見たときは、本当に何の暗号だろうと(笑)。
辻村 実はタイトルにちなんだちょっとした笑い話があって。私の母校で、恩師の一人が、朝礼か何かのときに「あなた方の先輩に小説家がいて、こういう本を出版しました」と紹介してくれたらしいんです。それはとてもうれしいけれど、その先生は「タイトルは、『ロチロナ ゼハゼロ』です」って朗々と縦書き読みを(笑)。カバーの字組のデザインが少し変わっているので、そう読んでしまうのもわかるんですよね。
── 意味がわからなくても応援したいという先生の気持ちがあったかい。いい話です。
辻村 何だかハワイ語みたいにも見えなくないし、申し訳なかったなと。
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