6月24日(火)~6月26日(木)
気持ちのいい梅雨の晴れ間の一日であった。
だが、30年近く前に挫折した憶えのあるドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を1箇月で読破せよという使命が課せられ、気は重い。
全5巻を机の上に積んでみた。文庫ながら厚さ約9センチ。本編がページ数にして3,300以上にも及ぶ圧巻。1箇月のうち20日間読書に勤しむとしても、仕事の合間に1日165ページは必ず読み進めなければならない計算となる。
軽い内容の話なら楽勝だが、異国の、宗教がらみの、おそらくは小難しい観念論が幅をきかせる本であろうから、そうそう簡単にいくとは思えない。ましてや数多いと推測される登場人物、場所等は、すべてカタカナ。ちょっと油断すると、誰が誰だかわからなくなり、ストーリーが追えなくなることは必至だ。ずるい流し読みは許されまい。過酷な苦行の予感が走る。
救いは本のつくり方か。これまで定番であった新潮文庫の重厚な色味の表紙とはちがい、クリーム色と朱でまとめた表紙は、本日の天候のように爽やかといえなくもない。手にとると心なしか軽みさえ覚える。
ぱらぱら捲ってみると、随分とひらがなが多い印象。新訳ということなので、読みやすさに腐心している模様。多少行間をとった本文レイアウトも、老眼がちょっと入った目にはやさしい。以前の、「貴様に読めるのか」という居丈高な版面ではなく、どちらかというと「読んで、読んで」という甘えた表情すら感じられる。うん、ちょっとうれしいかも。
多少心にゆとりがでてきたところで、「著者より」と題された序章の最初の一行目に目を通してみた。
〈わたしの主人公、アレクセイ・カラマーゾフの一代記を書きはじめるにあたって……〉
「あれれ、これって、カラマーゾフ兄弟が主人公というわけではないんだ。だったら、本のタイトル、『アレクセイ・カラマーゾフ一代記』ってすればよかったのに」なんて、余裕かまして、突っ込みを入れてみる。
さあ、じゃあ、明日から本格的に読みはじめるとしようか。今日のところは、ひとまず飲んで寝よう
「あのさあ、いま新訳の『カラマーゾフの兄弟』がブームになっているんだけど、あれ、読んでみない?」
数日前の昼下がり、電話口で、こう切りだしたのはブックジャパンの編集長だった。
「いや、なに、書評を書けっていってんじゃないのよ。あの込み入った内容の、あのボリュームの本をさ、1箇月で読み切るということに挑戦してもらってね、その様子を、リアルタイムにレポートする読書日記を書いてもらいたいわけなのよ」
「ま、主旨としては、あれだな、一人の仕事を持ったいい歳した大人が、どうやって1箇月で読み切るのか、その日常を見てみたいっていうか、そんなとこなんだよ。というのはさ、普通ああいうのは、体力があり余っている高校生や大学生の時に読むもんだからね。うん、高尚な論評なんてぜんぜん期待してないから、ストーリー紹介もおおまかにはネットでわかるわけだから、そうではなく、逆に、その時々で面白いところとか納得できないところには触れてもらってね。あとは毎日の進捗状況を、日常のこもごもと絡み合わせて描いてという内容なわけさ……。どう、どうよ、フジモトくん、面白そうでしょ? この際、超大作を読破する喜びと苦しみを、表現してみてほしいなー」
ケータイをもったまま、しばし沈黙。
もともと加虐的な性向のヒトだとは知っていたが、そうきたか。
ま、正直、この1箇月、ほとんど仕事らしい仕事はなかったのだ。あまりにヒマだったので、月のはじめの平日に二泊三日で長野の蓼科にある温泉にいき一家団欒を満喫したほどだ。で、その後は、ほとんどプール通い&TVでのスポーツ観戦&飲酒の日々。その間、読んだ本といえば漫画だけ。ずっと気になっていた『花より男子』(神尾葉子)全36巻と、『ザ・ワールド・イズ・マイン』(新井英樹)全5巻を読破し、落胆したり、感動したりしていた。いずれ押し寄せてくるだろう生活への不安にかられながらも、独り合点の楽園の住人となっていた。ところへ、このサディスティックな電話である。どう返事すればいいというのだ。仕事は欲しい、だが……。
黙考数秒。
迷う心に、しかし、ふと、こんなサブプライムな名文句が浮かんでしまった。
『加虐に対抗しうるのは、無抵抗な被虐ではなく攻撃的な自虐である』
長らくフリーのライターなんぞをやっていると、不条理なことをいってくる相手を否定せず、かつ自らも否定しない安らかな隙間を、瞬時に見つけだすことに長けてくるものだ。
心はほぐれ、口もほぐれた。
「では、私の自虐的な1箇月、綴ってみることにいたしましょうか」
一応、仕事とはいえ、ちょっと好き勝手にいろいろ書かせてもらうということで合意に至った。
以上、この日記の事始め。
ところで、読書の進捗状況。
序章の「著者より」と、第一部 第一編の「ある家族の物語」まで読んだ。わずか83ページの間に、十数人の登場人物が入り乱れ、時系列も入り乱れている。ひらがなが多くて、読みやすいと思いきや、たぶんドストエフスキーの濃密に込み入った文体がまんま活かされているようで、かなり読みづらい。何度も行やページをもどって読み直す行為がつづいた。一介のライターなら、すぐに書き直しを命じられること必至の悪文といえる。ロシア文学の特徴? いや、そんなはずはない。たしかチェーホフは、ものすごく読みやすかった。
いずれにせよ、30年近く前に挫折したときの苦い記憶が蘇る。新訳でブームになっているとはいえ、完読できるヒトはそうそう多くないのではないか……。
以下は、本日のノートおよび感想など。
●血と金と宗教観がどろどろに絡み合う物語がはじまるであろうことが察せられた。
●カラマーゾフの兄弟が、3人だということはわかった(長兄だけが異母)。
●それぞれが、まったく異なった性格ということもわかった。
●印象に残ったのは、主人公の三男アレクセイ(愛称アリョーシャ)の独白〈「ぼくは不死のために生きたい。中途半端な妥協はごめんだ」〉。
●気になったのは、当時の1ルーブルが現在の日本円でいくらぐらいなのか、ということ。金額の表記がやたらと多いのだが、そのいちいちに、リアリティが感じられない。ブツブツ……
昼寝をしてしまったので、夜の10時から読書開始。現在、27日の午前2時近く。
第一部 第二編「場違いな会合」を読了。これで、第1巻の241ページまで進んだことになる。
きのうの遅々として進まぬ状態からは脱することができたようだ。時系列があちこちいかず、シーンも修道院という一つの場に限定されていたことが大きいのだろうが、もしかしたら、ドストエフスキーの濃密な文体が馴染んできたか。他人の文章にすぐ影響を受けてしまう商業ライターとしては、ちょっと怖い現象。
内容はといえば、会話が織りなす小宇宙。アリョーシャが尊敬する修道院のゾフマ長老を囲み、カラマーゾフ家の金と女に関わるいざこざを軸としながら、キリスト教、社会主義、令嬢ないしは淫売等についての議論およびケンカが延々と繰り広げられていた。とにかく、みんなよくしゃべることしゃべること。19世紀のロシア人って濃すぎるぞって感じだ。なかでも俗悪の典型として描かれているカラマーゾフ兄弟の父フョードルは特別濃い(でも、個人的にはそんなに嫌いなタイプではない)。
ちなみに本日は、これから飲酒しつつ、朝までユーロ2008の準決勝ロシア×スペインをテレビで鑑賞する予定。『カラマーゾフの兄弟』を読みはじめるまでは、ロシアの快進撃が面白く感じられなかったのに、やっぱりこういうところも影響受けやすいんだろうな、強豪スペイン相手にロシアがどう戦うのか、妙に気になったりする。
[追記]ロシア、スペインに3-0であっさり敗退。21世紀のロシア人、濃さを発揮できずといったところ。
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