7月14日(月)
これから第4部 第11章「兄イワン」の章に突入せねばならない。だが、最近の順調な進行のせいで気がゆるんでいるのか、読書への意欲がまったくわかない。というか、暑いんだよな。
なので、本日は、「第1回 チキチキ『カラ兄』翻訳合戦!」という企画モノで勝負したい。
いま手元にあるのは、図書館で借りてきた岩波文庫の米川正夫訳『カラマーゾフの兄弟(第四巻)』と新潮文庫の原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(下)』である。
開いてみると、どれも、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳のものより、はるかに文字が小さく読みにくい。老眼バリバリの中高年にとっては、これだけで躊躇なく亀山訳に軍配を上げたくなりそうな気配だ。
だが、そうもいかない。肝心なのは、訳だ、訳。
今回はとりあえず、「兄イワン」の章の冒頭の数行の訳を比べ、優劣を決めてみることにしよう。
まず、米川正夫訳(章のタイトルは「兄イ★ン」と訳されている)。
〈アリョーシャは中央広場の方へ赴いた。彼は、商人の妻モローゾ★の家に住んでいるグルーシェニカのもとへと志したのである。彼女は朝早く彼のところへフェーニャをよこして、ぜひ来てもらいたいとくれぐれも頼んだのである。アリョーシャはフェーニャの口から、彼女が昨日からなんだかひどくそわそわしていることを知った〉(★は「ワ」に濁点)
次に、原卓也訳。
〈アリョーシャは、商家の未亡人モロゾワの家に住むグルーシェニカを訪ねるため、ソボールナヤ広場に向かった。今朝早く彼女がフェーニャをよこして、ぜひ寄ってほしいと折り入って頼んできたからだ。フェーニャを問いつめてアリョーシャは、奥さまが昨日からなにか特にひどく心配そうにしていることを、ききだした〉
最後は亀山郁夫訳。
〈アリョーシャは、商家の未亡人モローゾワの家に住むグルーシェニカを訪ねるため、ソボールナヤ広場へと向かった。彼女がまだ朝も早いうちにフェーニャを使いに寄こして、家に来てくれるようつよく頼み込んできたのである。アリョーシャは、フェーニャにいろいろ問いただして、昨日から奥さまが何かしら大きな不安にとらわれ、とても心配そうにしていることを知った〉
米山訳は、ワに濁点を付けるなど、こだわり派の印象。悪くいえば、古い。〈グルーシェニカのもとへと志したのである〉なんぞは、現代において馴染みのないいいまわしに思える。1928年に第一刷発行だからなあ……。
1978年に第一刷発行の原訳は、その点、かなり現代風といったところか。馴染みのない表現は見あたらない。ただ、簡潔に語りたいという意欲が、ところどころ窮屈さを生んでいるようにも思える。例えば〈今朝早く彼女がフェーニャをよこして〉とか、〈フェーニャを問いつめてアリョーシャは〉とか、〈昨日からなにか特にひどく心配そうにしていること〉とかとか。当時は天声人語が名文とされていた時代だったからなあ……
亀山訳は、2007年にでたばかり。いろいろ毀誉褒貶はあるようだが、うん、でも、やっぱり読みやすい。一行目が原訳とほとんど変わらないのがいかがかとは思うものの、後半はひらいてほぐして、とにかく誰にでもわかるように訳してくれている印象。いまはメール時代だからなあ……。
さて、ここまで書くと、亀山訳に軍配ありといった感じになる。だが、じつはそうではなかったりする。今回ピックアップした箇所だけを比べた上でいえば、個人的には米山訳に軍配を上げたいと考える。
なぜか? 土俵際の最後の一行の一つの単語が勝敗のポイントとなった。
米山訳の〈アリョーシャはフェーニャの口から、彼女が昨日からなんだかひどくそわそわしていることを知った〉の〈彼女〉は、ほかの二人が使っている〈奥さま〉という表現よりもずっとわかりやすかった。そう、グルーシェニカのことを〈奥さま〉と書かれても、さて、それは誰のことを指すのか、一瞬とまどってしまうところがあったのである。カギ括弧付きの語りの中に入れるのならまだしも、地の文で、これをやるのは、たとえ原文のままだとしても、ちょっと不親切だろう。
もう一度、素直に読んでみてほしい。
米山訳の〈彼女〉〈彼女〉に対し、原訳・亀山訳とも〈彼女〉〈奥さま〉。〈彼女〉〈彼女〉のほうがわかりやすいのは歴然である。
新しいほうが常にいいとは限らないのだよ。フフフ。
というわけで、「第1回 チキチキ『カラ兄』翻訳合戦!」は、〈彼女〉とした意訳した(?)米山訳の勝利!
えー、以上です。第2回目は、たぶん、ありません。
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