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ベストブック10&新人賞へ
●末國 うん、まあ(苦笑)。『聖家族』の話に戻すと、だから東北幻想を描いた作品には井上ひさしさんの『吉里吉里人』があって、高橋克彦さんの『火怨』(講談社文庫)というアテルイと坂上田村麻呂の戦いの話があって、最近では奥州藤原氏と頼朝との戦いを描いた佐々木譲さんの『駿女』(中公文庫)とかもある。これまで東北のすごさを描く場合、東北と中央の戦いを題材にしてきました。そのほとんどが、東北が戦いを挑んで負けるんですが、なんで中央が東北を攻めるかというと、じつは東北の豊かさが欲しいからだということになっている。で、東北は負けたけれども本当は豊かなんだ、俺たちの怨みは子孫たちに受け継がれてくんだよっていうことを宣言して終わるのがパターンだったんです。『聖家族』も基本的に反中央の物語です。ただ、中央との戦いは一切なくて、東北の架空の神話をつくって、それだけですごいんだということをいい切っている。そこが新しかったんですよ。もう中央なんて無視してもいいんだ、東北だけのすごさを2,000枚で語ればわかってくれるだろうという、その作者の姿勢みたいなものが、非常に良いかたちで滲みでていておもしろかったですね。
●豊崎 うん、正史を妄想で塗り替えていく過程がすごく良くできていますよね。
●末國 おもしろいのは、中央の歴史とは異なる歴史認識が示されているところ。例えば中央の歴史では、信長や秀吉は革新的な手法で天下統一を目指した偉人とされている。でも東北視点で読み替えると、信長なんて、ただの人殺しになる。秀吉も東北から兵士を動員して朝鮮に送り込んだ極悪人に過ぎないと。明治政府も東北から軍馬を調達して朝鮮半島に送って日露戦争を戦ったひどい国になってしまう。そんな風に延々と読み替えが続くんですね。
●豊崎 新撰組の悪口とかね。
●末國 そう。それこそ幕末では東北は必死に幕府のために戦ったのに、幕府はあっさりと東北を見捨てて、徳川慶喜は余生を幸せに過ごしましたよ、なんて延々書かれていくんですよ。我々が知っている歴史って、本当に一面しかないんだなっていうことがよくわかるんですね。そういう歴史改変小説のおもしろさもある。
●豊崎 あと、ご当地ラーメン小説でもある。
(会場 笑)
●吉田 私、『聖家族』はこんどのお正月に読もうと思っていたんです。この選考のために、すごく短い日数で読んだんで、ちょっと悔しい思いをしてるんですよ。あと思うんですけど、津軽弁ネイティブの私からすると、この本の津軽弁、間違ってるし!
(会場 笑)
●豊崎 それはちょっと擁護するけど、古川さんに聞くと、これは正確に何々弁とかいうんじゃないんですって。妄想の東北弁なの。小説用につくったらしいよ。
●吉田 あ、そうなんだ。
●藤田 この小説、素晴らしいんですけど、古川さんにも東北にも興味があまりないと、耐えがたいほどつらいです。
(会場 笑)
●杉江 ひどいよ、それは!
●豊崎 そんなこといったらさあ、『タチコギ』にも三羽さんにも興味がない人は、ペイって感じですよ。ペイって。
(会場 笑)
●藤田 『タチコギ』とかは、もっと普遍性があるんです!
●杉江 それはどうかな。過ぎ去りしプロレタリアートの世界を描いた話だし。
●豊崎 なんで普遍性がないの、『聖家族』に。だってこれ家族の話なんですよ。家族の話には普遍性あるでしょ。
●藤田 それはそうですけれども、なんかさ、一生懸命読まされている感があるんですよ。私には。
●杉江 いいじゃん一生懸命読めば(笑)。
●豊崎 (噛んで含めるように)たまにはね、本も一生懸命読まなきゃいけないの。
(会場 笑)
●三浦 『聖家族』って、ヒロインたちが子を産め産めと言われるじゃないですか。私あれが、男性側からの価値観の押しつけみたいに感じるし、産む機械としての自分を何の疑いもなく受け入れている女たちも苦々しく思います。
●杉江 しょうがないんですよ。明治の時代で、女性は子どもを産む以外の手段で生産への寄与ができない世界だったんだから。
●豊崎 だからね、古川さんはぁ、藤田さんや三浦さんのために書いてるわけじゃないんだってば、小説を。
(会場 笑)
●豊崎 ポリフォニックな小説なんですよね。
●杉江 はい。連載媒体も中間小説誌の「小説すばる」と純文学の「すばる」の両方使い、エンターテインメントにも純文学の枠にも収められないよう、しかも両者を統合できないようにも書くという試みに挑戦した作品でもありました。
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